港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)

第53回 区内の杉山神社

「八百万(やおよろず)の神々」といいますが、杉山神社の祭神(さいじん)は何でしょうか。各社まちまちなのですが、前回紹介した戸倉英太郎氏の調査によると、日本武尊(やまとたけるのみこと)か五十猛命(いそたけるのみこと)が祀(まつ)られていることが多いようです。日本武尊は東征(とうせい)の神話から、五十猛命は木材の守護神であることから祀られたと思われますが、こうした祭神が祀られたのは明治初年のことらしく、元来は杉の巨木を神聖視した原始的な自然崇拝から発生したものと考えられています。
さて、『新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)』によると、現在の区域内には、江戸時代に7社の杉山神社が鎮座(ちんざ)していました。
1. 新羽村(にっぱむら、現在の新羽町2576番地)…明治41年(1908)に村内の無格社3社を合祀している。
2. 新羽村(新羽町3918番地)…応永2年(1395)に遷座(せんざ)したと伝える。
3. 吉田村(よしだむら、新吉田町4509番地)…明治41年に村内の無格社3社を合祀している。
4. 樽村(たるむら、樽町4丁目10番地)…師岡(もろおか)熊野神社から分社したともいわれる。
5. 菊名村(きくなむら、菊名町485番地)…昭和10年に他の3社と八幡大神に合祀(ごうし)され、菊名神社(菊名6丁目5番地14)となる。
6. 大豆戸村(まめどむら、大豆戸町1131番地)…昭和22年に八王子社に合祀され、八杉神社(やすぎじんじゃ大豆戸町239番地)となる。
7. 太尾村(ふとおむら、太尾町1054番地)…昭和33年に村内5社と合祀し、社名を太尾神社とする。
この内では、3.吉田村の杉山神社が延喜式内社(えんぎしきないしゃ)の有力候補と考えられています。その理由を、前回紹介した菱沼勇(ひしぬまいさむ)氏は次の3点指摘しています。
(イ) 地域内に「杉山」という小名(こな)があり、この地区から吉田村が開け、神社の社名もつけられたと思われる。
(ロ) 杉山地区の旧家(きゅうか)「森」家は、千年以上もの歴史を有するとの口伝(くでん)があり、神社との関係も深い。
(ハ) 森家の背後の丘陵(きゅうりょう)に浅間塚(せんげんづか)という古墳(こふん)があり、かなりの勢力を持った土豪(どごう)が居住していた証(あかし)になる。
なお、『港北区史』によると、森家は地元で「杉山さま」と呼ばれており、家名「森」の語源は鎮守(ちんじゅ)の森からきているといわれます。
杉山神社の本社を探すためには、①神社所蔵史料や口伝の詳細な調査、②神社周辺の遺跡や遺物の調査、③古い地名の調査などが必要と考えられています。さて、皆さんはどのような回答を探し出しますか?
余談ですが、都筑郡(つづきぐん)吉田村は、昭和14年(1939)4月1日に横浜市へ編入(第11回参照)されました。横浜市市民局総務部住居表示課編『横浜の町名』によりますと、その際、横浜の旧市内に吉田町(中区)があることから、「新」をつけて「港北区新吉田町」としたと説明されています。ところが、この時に鎌倉郡戸塚町も横浜市へ編入され、町内の大字(おおあざ)吉田が分離されますが、「新」は付かず「戸塚区吉田町」となっています。釈然としません。この差はどこから来ているのでしょうか。

(2003年5月号)