港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)

第65 回 ラヂウム霊泉湧出記念碑 -綱島温泉の記録補遺-


第63回で紹介した「ラヂウム霊泉湧出記念碑」について、新吉田の吉岡敏夫さんから裏面の碑文を教えていただきました。有り難うございます。下に紹介します。実物は、左を上にした形になります。

        ラヂウム、エマナチオン               発見者    飯田助大夫 
       一〇、四七マッヘ                  発見所有者   加藤順三 
       内務省                      昭 後援者    飯田助夫 
       東京衛生試験所                和  検定願人   本間忠三郎 
       所長                       八  関係者    高橋巳代吉 
上  衛生試験所技師 田原良純先生     年  同      竹内主一     下 
       薬学博士                    三  同      吉村 基 
       主任                       月  同      平田泰次郎 
       衛生試験所技手 小毛利毛利三先生  建  同      天草徳平 
       主任                       之  温泉旅館元祖 小島孝次郎 
       衛生試験所技手 瀬川林太郎先生       汲湯温泉開拓者 福澤徳太郎 
       大正三年七月三十一日検定           同       田中友太郎 
       同    年八月 八 日分析              設者     加藤順三 


これにより、加藤ジュンゾウさんは「順三」、温泉の検査をした博士は、フグ毒の発見で有名な田原良純(たわらよしずみ)薬学博士であることが分かりました。
しかし、新たな疑問も出てきました。碑文下段を見ると、発見者が飯田助大夫(いいだすけだゆう)、発見所有者が加藤順三となっています。飯田助知(すけとも)さんに問い合わせたところ、「発見者に助大夫(1852~1925)の名が記されているのは、明治末から大正初めの頃に飯田家の庭で井戸を試掘し、ラジウム鉱泉が出ていたことによるのかも知れない。樽の加藤氏とどちらが早かったかは分からない。ただし、当時は渇水期(かっすいき)の対策として、地下水のくみ上げをしていたので赤水が出ることは知られていた。それがラジウム鉱泉であることを確認し、温泉として利用したことが画期的であったといえる。助大夫は、自身でも数多くの記念碑を建てているので、湧出記念碑を建てるという発想自体は、助大夫の発案でしょう。」と、教えていただきました。「後援者 飯田助夫(いいだすけお)」は、助大夫の長男で、助知氏の祖父です。
「関係者」は、地元の人では無いようです。池谷光朗(いけのやみつろう)さんからは、「東急の人でしょうか。東横線が開通してからは、綱島の駅前の発展に比べて、樽は取り残された観があった。記念碑は、東急が樽に名所を作ろうとしたのではないでしょうか。昭和10年頃には樽に「菖蒲園(しょうぶえん)」も作っています。」と教えていただきました。光朗氏は菖蒲園へ遊びに行ったことがあるそうですが、4、5年で閉園したそうです。現在はバス停にその名を留めています。
また、飯田・池谷の両氏からは、「温泉旅館元祖」の小島孝次郎は「永命館(えいめいかん)」の開業者であることも教えていただきました。「汲湯温泉(くみゆおんせん)」とは、源泉(げんせん)からお湯を汲み、遠くへ運び沸かし直して入浴する温泉のことのようです。

付記 3月に、新羽史編集委員会編『新羽史(にっぱし)』(230クラブ出版社、1575円)が刊行されました。新羽地域の歴史や民俗・文化などについて、ていねいに資料を集めて、分かりやすく記述されています。

(2004年5月号)