港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)

第206回 芝浦工業大学野球場と国鉄スワローズ合宿所 -港北区と野球の関係・その3-

 

大倉山にはかつて芝浦工業大学硬式野球部の合宿所と野球場がありました。合宿所はエルム通りを西へ進んだ歓成院の先、現在のライフ大倉山店近くにありました。野球場は合宿所から少し離れており、太尾新道と鶴見川の間の八反野(はったんの)と呼ばれる地域、太尾郵便局前の交差点を鶴見川方面に曲がったあたりでした。
この場所は昭和15年(1940年)に、芝浦工大の前身である東京高等工学校の後援会が総合運動場のための敷地として購入した土地で、『東都大学野球連盟70年史』によれば、野球場は昭和26年(1951年)に野球部の選手たち自身が整備したとのことです。芝浦工大は同じ年に東都大学野球連盟に加盟しました。加盟から10年後の昭和36年(1961年)には、秋季リーグで悲願の1部初優勝を遂げています。その時には神宮球場から大学のある港区芝浦まで優勝を祝う提灯行列が行われました。野球部の提灯行列は合宿所のある大倉山でも行われたようですが、その時期は判然としません。ご記憶の方がいらっしゃいましたら、お知らせ下さい。
大倉山を拠点としていた芝浦工大野球部ですが、昭和41年(1966年)の大宮校舎竣功とともに拠点を大宮へ移しました。大倉山の野球部合宿所はその後、大学の学生寮として昭和50年頃まで使用されたようです。また、野球部合宿所が大倉山にあった頃には、東横学園大倉山高等学校(現、インプレスト大倉山)の近くにも学生寮がありました。
さて、芝浦工大の野球場ですが、ここで練習をしていたのは野球部の学生だけではありません。昭和36年4月28日、この野球場の西側に国鉄スワローズ(現、東京ヤクルトスワローズ)の合宿所が完成し、世田谷区の池尻にあった旧合宿所から選手たちが引っ越してきます。練習場所は芝浦工大野球場でした。
国鉄スワローズといえば、400勝投手金田正一(かねだまさいち)さんの活躍が有名です。確認は取れていませんが、金田さんも大倉山で練習していたことがあるらしいと噂で聞いています。
『ベースボールマガジン』昭和36年5月号に出来たばかりの合宿所の紹介記事がありましたので、一部ご紹介します。

横浜行の急行は大倉山駅には止まらぬ。渋谷から鈍行で三十分はかかる。・・・おまけに大倉山駅からテクテクと歩かねばならぬ。大倉山図書館の古風な建物を右に眺めて、ここは神奈川県だ。くわしくは横浜市港北区太尾町字八反町という新開地。田んぼからカエルの声が聞こえ、ワラブキ屋根の点綴(てんてい)するなかを芝浦工大グラウンドを目指して歩く。ひどいぬかるみ道である。・・・合宿の右手に土手があってここに鶴見川が流れており、横浜の山の手といったところ。太尾堤下と駅の間にバスが通っているが一時間一台とあっては利用価値はゼロに近い。「遠いところなので、出る気がしない」とみんなアキラメ顔のようだ。

記事の中には、練習を「となりの芝浦工大球場でやるものの、グランドがとてもやわらかで雨が降るとダメです」という選手のコメントもあります。あまりいいことが書かれていないのがちょっと残念ですが、合宿所の建物は「お化け屋敷一歩手前のオンボロ合宿」と記者が評した古い日本家屋から、大倉山ではウス青色の二階建てでモダンなホテル構えとなり、場所は不便なものの静かでよく眠れるという利点もあったようです。
合宿所と野球場があったのは、鳥山川(現在は太尾堤緑道となっている部分)と鶴見川とに挟まれた低地で、大雨が降ると水が出やすい場所でした。昭和38年(1963年)6月には台風2号による浸水被害が出ています。この時、合宿所では風呂のたき口が3尺(約90㎝)浸水し、選手たちは「水防団に早がわり、砂を運んだり、ボロで詰めたりの大奮闘」(『ベースボールマガジン』昭和38年7月号)、野球場は当然水浸しで、周辺では自動車が半分水没したところもあったそうです。
しかし、大倉山にプロ野球選手の合宿所があったのは10年にも満たない短い間でした。国鉄スワローズは昭和40年(1965年)5月に国鉄からサンケイに譲渡され、昭和43年(1968年)1月には練習場が横須賀の京急所有地に新設された武山球場へ移転しています。昭和44年(1969年)にはヤクルトが球団オーナーとなり、昭和52年(1977年)に埼玉県戸田市の荒川河川敷に新しい練習場がつくられ、今に至ります。
『大綱今昔(おおつなこんじゃく)』には、芝浦工大・国鉄スワローズが去った後の昭和43年2月に撮影された野球場跡地の写真が載っています。野球場は中央部を除いて草が茂り、子供たちのいい遊び場となっていたようです。バッタやコオロギも沢山いたとか。それから程なくして跡地にはいすゞ自動車の独身寮が建ちました。現在ではそれもなくなり、マンションが建ち並んでいます。

 

記:林宏美(公益財団法人大倉精神文化研究所研究員)

(2016年2月号)