港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)

第120回 後日談いろいろ

 

この連載も今回で120回、満10年になります。100回の時は区切りもなく続けましたが、ここで少し連載を振り返ってみましょう。まず第1回では師岡熊野神社の筒粥について書き、第100回では熊野神社の記念誌を紹介しました。その熊野神社の別当寺(神宮寺ともいう)として明治2年(1869年)まで神社と一体であった法華寺の寺史『全寿院法華寺縁起考』が、樽町の吉川英男さんによって刊行されました。記念誌と併せて読んでいただきたい好著です。
第22・23・96回では新羽町の「注連引き百万遍」の大蛇について書きました。「注連引き百万遍」は、「注連引き」の大蛇作りと、「百万遍念仏」の2つの行事から成り立っています。その百万遍念仏は、車座になった参加者が大数珠を廻しながら念仏を唱えるのですが、平成19年より小山ヨネさんを中座(先導役)として復活しています。
第50回では、武者小路実篤が昭和6年(1931年)5月15日に建設中の大倉精神文化研究所本館(現大倉山記念館)を見学に来たことを書きました。その後研究所の資料を整理していて、一枚の油絵を発見しました。裏面を見ると「大倉邦彦兄肖像、一九三一、六、一五、武者小路実篤画く」と書かれていました。大倉山を訪れたちょうど一ヵ月後に書き上げた大倉邦彦の肖像画です。いずれ機会があれば展示したいと考えています。
第71回と第94回でタヌキの話を書きましたが、平成20年7月1日朝、大倉山公園の入り口で、ついに私もタヌキを目撃しました。まだ元気に棲息していたので、一安心です。
第115回では東急鉄道唱歌を紹介しましたが、東急電鉄の天野恒夫さんから追加情報をいただきました。東急鉄道唱歌は、昭和55年に日吉本町の辻村功さんが作詞したものですが、その後東急の路線も沿線も大きく変化したので、作詞者自らが平成17年に全面的に改定をされていました。たとえば、11番の「港北の七福神」は、名称の変更があり(第47回参照)、「横浜の七福神」と改められています。
本稿では、折に触れて地域の刊行物を紹介してきましたが、最後に黒塚武夫さんの『港北・都筑散策ひとり旅』を紹介しておきます。黒塚さんは、2006年11月1日から2007年12月26日にかけて30回に及ぶ散策を行っています。自序によると、目的は「08年に卒寿と港北区移転5周年を迎える記念」として実施したイベントとのことです。卒寿とは90歳の祝いのことです。すごい!黒塚さんは本の刊行前に故人となられたので、お目に掛かることは出来なかったのが残念です。本書は、地域情報の単なるガイドブックではなく、実際に歩かれた黒塚さんの体験や感想がみずみずしいタッチで書き留められており、読み物としても興味深い一冊です。黒塚さんが港北や都筑に興味を持つようになったきっかけは、大倉精神文化研究所が2003年に刊行した『港北の歴史散策』にあったのだそうです。『港北の歴史散策』は私が編集を担当し、「わがまち港北」も50回まで転載してあります。嬉しい限りです。ちなみに、本稿の最近の分は区役所のホームページ(http://www.city.yokohama.jp/me/kohoku/sinkou/raku_yu_gaku/)で見られます。また、第1回からの全文は、大倉精神文化研究所のホームページにも掲載しておりますので(http://www006.upp.so-net.ne.jp/ookuraken/kouhoku.htm)、そちらをご覧ください。
皆様からの情報提供や励ましに感謝しつつ、11年目を迎えます。来年もよろしくお願いいたします。


(2008年12月号)