港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)

第18回 大倉山記念館は人間だ= -その2-

大倉山記念館の中央館(心の間、こころのま)は、人のを表していました。前々回に記した留碑が中央館中心部の地下にあるのはそのためです。
さて、心を表す中央館の奥が、ホール(殿堂、でんどう)になります。殿堂は、信仰を養う場として作られました。人は信仰心を持たなければならない、というのが大倉邦彦(おおくらくにひこ)の考え方でした。つまり、「心の間」で誠の心に帰り、神仏に近づく準備が出来て殿堂に入るのです。
ここでいう信仰心とは、宇宙全体の中で生かされている自分を自覚するという意味です。大倉邦彦自身は、信仰心を得るために坐禅(ざぜん)に傾倒(けいとう)するのですが、生涯言っていたことは、宗教的信念を持たなければならないが、たとえば仏教とかキリスト教とか、宗教や宗派にとらわれてはいけない、修行の手段は違っていても大元(おおもと)は一つなのだということを力説しています。
ですから、殿堂も、宗教的な立場や考え方・信仰を持つことの大切さを説きながら、特定の宗派に偏(かたよ)らないということで作られたと聞いています。見方によっては神社・神道風の建物にも見えますし、キリスト教の教会風にも仏教寺院風にも見えるといったような形に設計をしたとも言われています。
現在は、ホールの入り口は防音のために二重ドアになっています。しかし、これは、昭和59年(1984)に横浜市の手により、楽器演奏等が出来るように改築されたもので、建設当初は、外側のドアが一枚あるだけでした。大倉精神文化研究所に現存する設計図を見ると、当初はドアを入ると鳥居のような柱が左右にあり、その上にはパイプオルガンが据え付けられるような計画があったことが分かります。しかし、パイプオルガンは実現しませんでした。その理由は明らかでありません。
殿堂の内部は総て木造になっており、正面左右に太い木の柱が二本ずつ建っています。室内には、長椅子が多数並べられていました。現在、館内の各所に置かれている、背もたれが高く左右の端に丸い飾りの付いた長椅子がそれです。壇上は、建設当初は半円形の須弥壇(しゅみだん)が置かれただけのシンプルなものでした(後に、舞台には天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られ、神殿に改装されました)。この須弥壇は、現在はギャラリーの入り口正面に置かれています。
この信仰の場である殿堂を取り囲む形で、回廊(かいろう)が作られています。回廊では、坐禅が行われていました。信仰心を持つための修業の場です。回廊は、昭和59年以降は、改装されてギャラリーとして使われています。

(2000年6月号)

付記1 建物は平成3年(1991)に横浜市の文化財に指定され、大切に保存されていますが、館内の調度類も建物と同時に同じ建築様式によって設計され、特注で制作されたものです。建物と同様に、大切にしてください。