港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)

第19回 サンダル履いて富士山に登ろう

区内から西方を望むと、見晴らしがよければ丹沢(たんざわ)の山々が見えます。その左端に目立っているのが大山(おおやま)です。そして、山々の後ろには富士山がそびえています。かつては、どこからでも気楽に見ることの出来た景色です。
古来、日本人は自然に対し畏敬の念を持ち、山や巨木、岩や川などを神として崇(あが)めてきました。山岳信仰はその代表です。天気は西から変わってきますから、特に西側の山は強い信仰の対象となりました。区域からは、西に見える大山に雲が架(か)かるとやがて恵みの雨が降るので、大山には水神(すいじん)信仰があります。しかし、なんといっても一番高くそびえる富士山に対する信仰は特別でした。古くから、霊峰(れいほう)富士の山頂には神が鎮座(ちんざ)しており、そこに登ることにより、心身を浄(きよ)め、神に接することができると考えられていました。そうした信仰を庶民に広げたのは、江戸時代中期の食行身禄(じきぎょうみろく、1671~1733年)でした。身禄の教えは、やがて富士講(ふじこう)として各地に広まりました。
区内でも、各地に富士講が結成され、かつては多くの富士塚(ふじづか)があったようです。たとえば、菊名駅と妙蓮寺(みょうれんじ)駅の間には、そのものずばりの富士塚一丁目、富士塚二丁目という町名があります。富士塚二丁目には、大正初期まで富士浅間神社(ふじせんげんじんじゃ)と富士塚がありました。その後、宅地化により塚は無くなってしまったそうですが、昭和46年(1971)に塚に因(ちな)んで町名が名付けられました。元は篠原町と菊名町の一部でした。また、小机町では、小机城址(こづくえじょうし)のある城山(しろやま)の頂上が富士塚になっていました。他にも、新羽町(にっぱちょう)、篠原町、高田町(たかたちょう)や新吉田町などに富士塚があったようですし、探せばもっとありそうです。
富士塚には、富士山から石を運んで造った人造の塚と、丘や古墳など従来からあったものを富士山に見立てたものと二種類あります。区内の富士塚は皆後者のようです。いずれにしても、毎日西の空にその姿を拝みながらも、容易には登山が出来なかった昔の人達が、年寄りや子供でも登れるような丘の上に浅間神社を勧請(かんじょう)して、富士山に見立て、本物の富士山に登ったのと同じ霊験があるとして広めたものです。
荏田(えだ、青葉区)、川和(かわわ、都筑区)、池辺(いこのべ、都筑区)、茅ヶ崎(ちがさき、都筑区)、北山田(きたやまだ、都筑区)、新羽、篠原の七ヶ所の富士塚をめぐる「七富士めぐり」という行事もありました。富士塚登山は昭和初期には廃(すた)れ、各地の富士講も大半は戦後まもなく解散してしまい、現在では詳しいことは分からなくなっています。私もこの原稿を書くにあたって色々と調べましたが、富士塚の実態はほとんど分かりませんでした。ご存じの方がおられましたら、お教えください。
7月1日は富士山の山開きです。お宅の近所にもきっと富士山が見つかるはずです。サンダル履きで気軽に登山を楽しんでみませんか。

(2000年7月号)

付記1 2002年3月31日に、港北シティガイド協会主催の見学会で、港北七富士めぐりと題して、荏田・川和・池辺・茅ヶ崎の富士塚を巡りました。その時に作成した資料を公開しています。併せて御覧下さい。