港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)

第49回 初夢は大倉山からノーベル賞

あけましておめでとうございます。昨年、第46回で取り上げた「タマちゃん」が、2002年の日本新語・流行語大賞に選ばれました。そして、トップテン語には、ノーベル賞を受賞した小柴昌俊(こしばまさとし)さんと田中耕一(たなかこういち)さんの「ダブル受賞」が入りました。これで日本人受賞者は12名となりました。不況の中で、どちらも明るい話題でした。
今回は、このノーベル賞と大倉山との関係についてのお話です。日本初のノーベル賞受賞者は昭和24年(1949)の湯川秀樹(ゆかわひでき)博士ですが、東洋人として初めてノーベル賞を受賞したのは、ラビンドラナート・タゴールです。
タゴール(1861~1941年)は、「詩聖」と呼ばれたインドの有名な文学者・思想家・芸術家で、1913年(大正2)に詩集『ギーターンジャリ』によりノーベル文学賞を受賞しました。タゴールは岡倉天心(おかくらてんしん、1862~1913年、美術評論家・思想家)と親交があり、日本を愛し5度も来日しています。
大正5年(1916)、最初の来日の時は横浜商人として有名な原富太郎(はらとみたろう、三溪)の屋敷に宿泊しました。タゴールは日本中から大歓迎を受けましたが、講演で日本の帝国主義的傾向や西洋文明の模倣を批判したため、その人気は急速にさめてしまいました。しかし、日本画家横山大観(よこやまたいかん、1868~1958年)等ごく一部の人たちはタゴールを評価し続けました。
大倉精神文化研究所の創設者大倉邦彦もその一人でした。昭和4年(1929)にタゴールが来日したときは、大倉邦彦の自宅(東京の目黒)に約1ヶ月滞在しました。この御礼として、帰国後、タゴールから寄贈されたベンガル語の著書160冊や古代インドのモデルシップなどが研究所に残されています。
さて、大倉精神文化研究所の公務日誌を見ると、昭和6年(1931)にタゴール生誕70年の記念として、大倉邦彦の推薦により、詩人野口米次郎(のぐちよねじろう)、小説家武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)、哲学者井上哲次郎(いのうえてつじろう)の作品をインドへ送った記事があります。
これは、タゴールの秘書Chakravarty氏が世界中のタゴールの友人達に依頼したもので、集めた原稿により『GOLDEN BOOK OF TAGORE』という本が作られ、タゴールにプレゼントされました。この本を見ると、アインシュタイン(物理学者、ノーベル賞受賞)、イェーツ(アイルランドの詩人、ノーベル賞受賞)、ガンジー(インド独立運動指導者)、トマス・マン(ドイツの小説家、ノーベル賞受賞)、ヘルマン・ヘッセ(ドイツの詩人、ノーベル賞受賞)、ヘレン・ケラー(盲聾唖の社会福祉事業家)、ロマン・ロラン(フランスの小説家、ノーベル賞受賞)といった20世紀を代表する著名な人たちの作品が収められています。日本からは、大倉邦彦の紹介で寄稿した上記三名の他に、姉崎正治(あねさきまさはる、宗教学者)、片山敏彦(かたやまとしひこ、仏文学者)、尾崎喜八(おざききはち、詩人)の名前が見えます。
また、昭和36年(1961)にはタゴール生誕百年を記念するために、インドのネール首相の呼びかけで「タゴール記念会」が組織されました。大倉邦彦が理事長に就任し、タゴール研究室を大倉精神文化研究所内に置きました。記念紙『さちや』、論文集『タゴール』、『タゴールと日本』などの刊行、生誕百年祭、タゴールの夕べ、タゴール展示会などの記念事業を行いました。

(2003年1月号)

付記1 野口米次郎(1875~1947年) 詩人。米英に滞在中に英文詩集を刊行し、ヨネ・ノグチの名で世界的に有名。タゴールと親交を持つが、後に論争を行う。小机の泉谷寺(せんこくじ)にある安藤広重(あんどうひろしげ)の杉戸絵(県指定重要文化財)は、野口米次郎が昭和3年(1928)に発見したものです。

付記2 武者小路実篤(1885~1976年) 小説家、劇作家。文化勲章受章。トルストイに傾倒し、雑誌「白樺」を創刊。人道主義の実践場として「新しき村」を建設したことで有名。第50回参照。

付記3 井上哲次郎(1855~1944年) 哲学者、東大教授。ドイツ観念論哲学を紹介し、日本の観念論哲学を確立した。また、新体詩運動を興したことでも有名。