港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)

第5回 リンドバーグと原田三千夫

今を去る72年前、1927年(昭和2)5月21日、リンドバーグは初めて大西洋横断無着陸飛行に成功しました。この世界的快挙(かいきょ)をパリで目にした日本人がいました。原田三千夫(はらだみちお)、当時28歳でした。原田は、日記に次のように記しています。
「米国の飛行家Lindberghが大西洋を飛んで来て二三日経(た)った夕方であった。小さな通りを足早に通り過ぎて居(い)る時に、二人の老人の囁(ささや)きが耳に入った。一人の方は頻(しき)りに興奮してゐる。『何たって馬鹿な仏蘭西(フランス)の飛行家はまんまと米人の手で殺されてしまって、大西洋横断の最初の名誉は彼等のものになった。それも知らないで、何だって仏蘭西人(フランスじん)は馬鹿正直にもあれ程の御祭騒ぎをして米人飛行家を歓迎してゐ(い)るのだ。俺にはさっぱり判らぬ。』今一人の老人は之(これ)に和(わ)し乍(なが)らその感情をやわらげてゐ(い)た。
老人が、アメリカ人に殺されたと言っているフランスの飛行家とは、シャルル・ナンジュッセのことで、彼は5月8日にパリを飛び立ち、アメリカ東海岸に到着したらしいのですが、目的地ニューヨークを目前にして消息を絶ったのでした。
当日のパリの飛行場にはリンドバーグを一目見ようと10万人もの人々が押し掛けたそうです。パリの町はお祭り騒ぎになったのですが、中にはこの老人のように愛国心に燃えて斜(しゃ)に構えていた人もいたのでした。原田も、浮かれ騒ぐパリっ子よりこの老人の方に心惹かれて特に日記に書き留めたのでしょう。
さて、原田三千夫は、1925年(大正15)に大倉邦彦(おおくらくにひこ、大倉精神文化研究所の創設者)の秘書としてヨーロッパに来て、主として洋書の購入をしていました。大倉は一年で帰国しましたが、原田は一人のこり、この快挙に遭遇(そうぐう)したのでした。原田がヨーロッパで買い込んだ洋書は約八千六百冊におよび、現在でも横浜市大倉山記念館の中にある大倉精神文化研究所附属図書館(第26回参照)に所蔵されています。図書館は火曜日から土曜日まで一般公開していますから、関心のある方は是非閲覧してみて下さい。

(1999年5月号)

付記1 原田三千夫の「訪欧日記」は、かつて小森嘉一氏が原田家から借用し、主要部分を筆写されています。小森氏の筆写原稿の大半と、原本のコピーの一部は大倉精神文化研究所に所蔵しており、その全文は『財団法人大倉精神文化研究所沿革史稿本 第二冊』(平成12年)に紹介しています。