港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)

第76回 ウメ・桃・さくらに芝桜


大倉山の観梅会(かんばいかい)や綱島桃まつりも終わり、いよいよ春も盛り、花の季節になってまいりました。東横沿線の綱島・大倉山界隈(かいわい)は、古くから花の名所として開発されてきました。
綱島がかつて桃の大産地だったことは以前に取り上げましたが(第15回参照)、鶴見川対岸の樽(たる)や大曽根も生産地で、春になると一面に桃の花が咲き誇っていました。
その鶴見川は、明治43年(1910)の大洪水を契機として、県が中心となり堤防を改修しました。工事は大正3年(1914)に完成し、後に通称で「大正堤(たいしょうづつみ)」と呼ばれるようになりますが、改修記念として堤防に5間(ごけん、約9m)間隔で桜を植えて並木を作ったことから、桜の名所として温泉客に親しまれました。
沿線開発を進める東急は、昭和6年(1931)大倉山に梅林(ばいりん)を開園します(第2回参照)。さらに、その2年後の、昭和8年(1933)に樽町の水田4,000㎡に5万株の菖蒲(しょうぶ)の花を植えて、菖蒲園を開園しました。しかし、残念なことにわずか3年で閉園されてしまいます。大倉精神文化研究所も、昭和6年から8年(1931~33)にかけて、13,317本以上の植樹をしています(第58回で数千本と記しましたが、訂正しておきます)。余談ですが、昭和56年(1981)に、研究所の敷地を横浜市へ売却した時、敷地内には、1,199本の樹木がありました。
こうして、早春の香りを運ぶ2月の大倉山の梅に始まり、3月は綱島・樽・大曽根の桃、4月は鶴見川堤防の桜、5月は樽の菖蒲と、綱島から大倉山にかけての一帯は花の名所となっていきました。大曽根では、梨の栽培も盛んで、桜の後に初夏の訪れを告げるかのように白い梨の花が咲き誇るのも美しかったようです。昭和10年(1935)の禁漁区設置計画や昭和16年(1941)の風致地区指定(第58回参照)もそうした経緯と関連付けられそうです。
近年になり、綱島では花桃の植樹が進められていますが(第28回参照)、大倉山でも新たな活動が始まりました。シバザクラ(芝桜)の植栽です。大倉山エルムフォトクラブや大倉山商店街振興会などが協力して、平成15年より港北区の土木事務所や観光協会へ働きかけていました。世話役の高橋勲夫(たかはしいさお)さんは、芝桜で有名な北海道の滝上町(たきのうえちょう)滝上公園や藻琴山(もことやま)温泉芝桜公園まで視察にも行かれましたが、そうした成果が実り、芝桜の植栽が始まりました。
昨年12月7日に、地域のボランティア約60名が集まり、緑政局の方の指導により、大倉山記念館前の左右の花壇と、梅林の池の周囲に5,000株の芝桜とチューリップを植えました。私も少しだけ手伝ってきました。
芝桜は、ハナシノブ科の多年草で、ハナツメクサとかモスフロックス、ハナシバ(花芝)などともいわれます。4月から5月にかけてピンクや白、赤などの花を咲かせます。今年はまだ疎らでしょうが、芝桜は細かく分枝し、地をはうように密生して茂りますから、数年で花の絨毯(じゅうたん)が出来上がります。
これから平成19年にかけて大倉山の各所に順次芝桜を植えていく計画です。現在、ボランティアグループ(仮称、芝桜愛好メンバー、代表:原澤寛さん)も組織されつつあり、やがて行政と協力して、植栽やその後の管理をしていくことになりそうです。梅や桜の季節が終わった後も、大倉山周辺が色鮮やかな芝桜で覆われるようになると、今以上に多くの方々が大倉山公園を訪れるようになるでしょう。

付記 坂本彰『鶴見川流域の考古学-最古の縄文土器やなぞの中世城館にいどむ-』(百水社、1500円)が刊行されました。30年間の発掘体験をもとに、流域の豊かな歴史を、分かりやすく解説されています。

(2005年4月号)