港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)

第123回 サクラソウの復活 -小机が花盛り-

 

以前に横浜緋桜(よこはまひざくら)(第75回)と芝桜(第76回)の話を書きましたが、サクラつながりで篠原町の臼井義幸さんからサクラソウ(桜草)の情報をいただきました。まず、臼井さんの手紙を全文紹介します。
昨年横浜線100周年の話を調べている時に、日産スタジアムの清水富士男さんから「小机」という名前の花があることを教えてもらいました。サクラソウという草花の一品種です。昔、鶴見川の氾濫原の小机周辺にその生息地があり、そこから生れた種類と考えられています。
サクラソウは多年草で、春になると直径2~3㎝のかわいらしい花を付けます。多くは淡紅色(たんこうしょく)で、山桜の花に似ています。高原などでは湿った場所に、平地では川沿いの高水敷(こうすいじき)などに生えています。
江戸時代には、その花を鉢に植えて棚に並べて愛でる愛好団体が数多くあったようです。育種(いくしゅ)が進み、数百に及ぶ品種がつくられた古典園芸植物でもあります。反面、野生種の生息地は減少し、現在では、場所によっては特別天然記念物に指定されています。
サクラソウは日本在来の花で、あのドイツ人医師シーボルトによって西洋へ紹介され、Primula sieboldii(プリムラ・シーボルディ)という学名が付けられています。
さて、サクラソウ類やその仲間は、開港当時の横浜にはあちこちにあったといわれていますが、開発などの為、大半は消えてしまいました。ご近所の古老の方々にお話を伺いましたが、実際にその自生地を見たという方には会うことができませんでした。しかし、小机にお住まいの桜井さんが、自宅の裏山に生えているのを祖父が大事にしていたというお話をしてくださいました。自生地も見せていただきました。昨年9月に出かけたので、花や葉を見ることはできなかったのですが、かなりの広さの場所で群生しているようです。山の北側斜面でサクラソウにはとても良い環境のようでした。鶴見川の川沿いから移植したものか、自然に生えていたものかは定かではないようです。開花の頃にぜひともまた訪れてみたいものです。
このサクラソウを、新横浜公園に復活させようという活動「新横浜公園さくらそう自生地復活プロジェクト」が今年1月から始まりました。公園管理者と横浜さくらそう会が企画し、小机小学校の5年生が150株ほどの苗をポットに植えました。春の開花期には、育てた子供たちと一緒に、新横浜公園の水路沿いに植え込む予定です。自分の手で育てたかわいらしい花を見て、喜ぶ子供たちの顔が今から目に見えるようです。 新横浜公園は鶴見川多目的遊水地に作られた公園ですが(第10回・60回参照)、昔は川沿いの湿地帯でした。公園を管理している日産スタジアムでは、公園の景観として、単に草花を植えるのではなく、かつて湿地帯や農地だった頃の風景をよみがえらそうとして、米や麦、綿花などの栽培をしたり、ヘイケボタル(平家蛍)を放ったりしています。サクラソウの自生地復活はそうした活動の一環です。今回移植するサクラソウは残念ながら「小机」ではありません。サクラソウの「小机」は今では非常に珍しく、横浜さくらそう会の三宅修次さんも、白い花を付ける「小机」を数株所有しているだけだそうです。いつの日か、新横浜公園や小机周辺に、この「小机」の花が咲き誇る時が再び訪れると嬉しいですよね。


記:平井 誠二(大倉精神文化研究所専任研究員)


付記 正藤勘扇(まさふじかせん)『花ぞろい正藤流~創作舞踊家家元ひとり語り~』(東京新聞出版局)が刊行されました。舞踊のことだけではなく、著者が生まれ育った新吉田町や港北区域のことも沢山書かれていて興味深い本です。