『楽・遊・学』平成21年10月号原稿

シリーズ わがまち港北

第137回 12年に一度の霊場巡り  -その6-

 

前々回、稲毛(いなげ)七薬師霊場を紹介したところ、樽町(たるまち)の吉川英男さんから情報をいただき、『新田物語(にったものがたり)』第10号の表紙に「薬師如来七箇所参詣所」と題した資料が掲げられていて、稲毛七薬師はすでに明治16年(1883年)には成立していたこと、当時はお寺の構成が少し違っていたことなどを教わりました。有り難うございます。
ちなみに、『新田物語』とは、地域の歴史や文化に関する原稿を掲載した会誌で、昭和59年(1984年)から平成2年(1990年)まで計18号が刊行されました。発行元は新田惣社(にったそうじゃ)というサークルで、代表者は、新田吏員(りいん)派出所の吏員(職員)だった中里忠男氏でした。新田吏員派出所は、区役所の派出所として、昭和27年(1952年)から平成19年(2007年)3月まで区役所の各種届や証明の取り次ぎをしていた施設で、新田地区センターの隣にありました。その跡地は、港北区ボランティアセンター「やすらぎの家」となっています。
本題に戻りましょう。

 

武南(ぶなん)十二薬師霊場

 

ご開帳は、4月1日(木)~30日(金)の9時~17時でした。
1番札所 貴雲寺(きうんじ)  (曹洞宗)
御詠歌(ごえいか)  こけのむす きしねにくもの かがやきて さながらるりの ひかりとぞみる
岸根町の岸雲山(がうんざん)貴雲寺は、慶長3年(1598年)の創建で、本尊は薬師如来坐像で、座高9寸(約27センチ)です。貴雲寺に残る連印状によると、武南十二薬師の始まりは、安永(あんえい)8年(1779年)に貴雲寺第9世泰山和尚が願主となって設立したもので、天明(てんめい)2年(1782年)寅年(とらどし)に最初のご開帳がありました。その後中断がなければ、今回で20回目のご開帳ということになります。
7番札所 金剛寺(こんごうじ)  (曹洞宗)
御詠歌  一(ひと)たびも みなおしきかは みにおもき やまひもすくふ ちかひたのもし
小机町の医王山金剛寺は、天文(てんぶん)9年(1540年)に小机城址の下に草庵として開創され、天明6年(1786年)に曹洞宗に改め、現在に至っています。行基(ぎょうき)作と伝えられている本尊の薬師如来坐像は、座高68センチです。現在の本堂は、昭和4年(1929年)と昭和30年(1955年)の2度の火災を経て、昭和60年(1985年)に再建されたものです。
8番札所 長福寺(ちょうふくじ)  (真言宗大覚寺派)
御詠歌  やへむぐら こざさしのはら わけいりて もとのねがいを きくぞうれしき
篠原町(しのはらちょう)の本願山長福寺は、鳥山町三会寺(さんねじ)末で、天正(てんしょう)14年(1586年)創建と伝えられます。『新編武蔵風土記稿』では本尊を不動としていますが、現在の本尊は薬師如来坐像です。薬師如来坐像の胎内からは、昭和61年(1986年)に、金子出雲守(かねこいずものかみ)の名が記された文禄(ぶんろく)4年(1595年)の木札と願文(がんもん)が発見されました。長福寺から横浜線を越えた北側には篠原城跡があり、金子出雲守は篠原城の城主だったようです。篠原周辺には、現在でもその子孫と思われる金子姓の方が大勢おられます。
さて、筆者は4月1日から数回に分けて、これまで紹介した3霊場の各札所を巡りました。筆者の目的は資料収集と物見遊山(ものみゆさん)でしたが、薬師の功徳(くどく)をいただくために熱心にお参りしている方を何人も見かけました。お寺や神社は単なる観光地ではありませんから、拝観の際には失礼の無いように心掛けたいものです。

 

記:平井 誠二(大倉精神文化研究所専任研究員)

 

 

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