『楽・遊・学』平成23年11月号原稿

シリーズ わがまち港北

第155回 神部健之助と尚趣会

 

『楽・遊・学』200号達成、おめでとうございます。遠く松山の友人から御祝のメッセージを受け取りました。
さて、白瀬矗(しらせのぶ)中尉(ちゅうい)から菊名の家を買った神部健之助(かんべけんのすけ)氏ですが、前回紹介した『横浜文化名鑑』によると、京都生まれで、京都帝国大学の経済学科を中退。計理士・税理士の資格を持っていました。『横浜今昔』(毎日新聞横浜支局、1957年)によると、ホテルニューグランドの創設事務をしたそうですから、戦争直後、菊名町から中区山下町へ通勤していたのでしょう。昭和27年(1952年)頃は芝浦工業大学、関東短期大学、神奈川大学で講師をしており、51歳とあります。しかし、文化関係者として名前が載ったのは、本業以外の趣味の世界で、「風月楼(ふうげつろう)」の雅号(がごう)(ペンネームのようなもの)を持ち、尚趣会(しょうしゅかい)、横浜倶楽部(クラブ)、文化苑(ぶんかえん)の会員だったことによるもののようです。
そこで、神部氏に面識があったという、篠原東(しのはらひがし)の押尾寅松(おしおとらまつ)さんからお話を伺いました。押尾さんは、昭和末期に、神部氏の本業で仕事上のお付き合いがあり、何度もお宅へ伺っていました。神部氏とは、仕事の話よりも、趣味の話を伺ったことが印象に残っているそうです。神部氏は特に真葛焼(まくずやき)に関心が深く、押尾さんは、神部氏に案内されて一緒に真葛焼の窯跡(かまあと)を見学したこともあるそうです。神部氏は、『横浜今昔』に「世界的だった初代、二代香山(こうざん)-真葛焼-」という原稿を書いています。
また、押尾さんは神部氏から、近所で出土した古代の櫛(くし)を持っていると聞いたこともありました。神部氏は趣味の収集品をとても大切にされていたようで、室内には一切飾っておらず、見せてもらったことは無いそうです。
前号で紹介した白瀬中尉の短刀については、白瀬中尉のお孫さんたちから依頼があり返却されたとの話を、神部氏から直接伺ったそうです。
神部氏のような、いわゆる文化的な趣味を持つ人達の集まりが「尚趣会(しょうしゅかい)」です。尚趣会は、大正14年(1925年)に結成されています。例会は、会員の自宅に各自が書画骨董(こっとう)を持ち寄り、鑑賞会を開いていました。
尚趣会の会員名簿として昭和27年(1952年)に編纂されたのが、『尚趣集(しょうしゅしゅう)』です。この本によると、神部氏は明治34年(1901年)甲斐国(かいのくに)(山梨県)の生まれとあり、『横浜文化名鑑』とは出生地が違っています。尚趣会には、昭和12年(1937年)に入会しており、風月楼以外にも、暁葉(ぎょうよう)、麓心居士(ろくしんこじ)、紙魚洞(しみどう)、聴古菴(ちょうこあん)などの号も名乗っており、趣味は、尺牘(せきとく)(手紙)、古文書(こもんじょ)、短冊(たんざく)、色紙蒐集(しきししゅうしゅう)、郷土史研究、書画骨董(こっとう)の鑑賞とあります。
『尚趣集』に記されている会員は23名ですが、港北区在住者では他に、篠原町の多尾(たお)伊四郎と西村栄之助の名があります。綱島出身の飯田九一(いいだくいち)も会員でした。
西村栄之助(雅号、淮園)は、明治7年(1874年)生まれで、尚趣会の前身である成趣会に大正4年(1915年)から参加していました。趣味は「近世国学家及び新派俳人短冊、並に古陶杯台(ことうさかずきだい)蒐集(しゅうしゅう)、和歌、狂歌、刻字、囲碁」と幅広いものでした。
多尾(たお)伊四郎(雅号、鉄眼)は、明治8年(1875年)生まれで、昭和11年(1936年)入会、昭和27年より名誉会員となっています。趣味は「書画骨董(こっとう)茶器の鑑定並(ならびに)蒐集(しゅうしゅう)、読書、読経、晴耕雨読」と記しています。
尚趣会については、雑誌『郷土よこはま』77号、78号に連載された秋山佳史(よしふみ)「横浜の趣味団体『尚趣会』」に詳しく記されています。以下、そこから港北区内で開かれた例会を紹介しましょう。
昭和6年(1931年)10月に、篠原の西村栄之助宅「委塵関(いじんかん)」(異人館のシャレ)で例会を開いています。晩秋の月見を企画したのですが、雲に遮(さえぎ)られました。「地酒の上物」も用意されていましだ。菊名駅前の、安山酒造の酒だったのでしょうか。残念ながら銘柄までは分かりません。
昭和13年(1938年)4月20日は、東神奈川駅に集合して東横バスに乗り、篠原池(第152回参照)を逍遙(しょうよう)して、篠原八幡神社を参拝し、多尾伊四郎邸までハイキングをしています。案内状には、「太尾山脈(ふとおさんみゃく) 拝金愚(ハイキング)」とあることから、この後に太尾町(大倉山)までハイキングする予定だったようですが、「水筒に三水(さんずい・お酒のこと)準備」の文字もあり、多尾邸で酔客(すいかく)になってしまったようです。『郷土よこはま』には、その時のハイキング風景を写した興味深い写真が2枚掲載されています。
秋山佳史さんによると、真葛焼の宮川香山(みやがわこうざん)も会員であり、神部氏の入会前ですが、昭和10年1月に宮川邸で会合を開くなど、「会員のほとんどが真葛焼を愛好していたと推測される」と記しています。平成21年(2009年)、7月5日「出張!なんでも鑑定団in港北区」が港北公会堂で開催されました(8月11日放映)。もし神部氏が健在だったら、「あなたのお宝大募集」に真葛焼で応募されたのでしょうか。

記:平井 誠二(大倉精神文化研究所研究部長)

 

 

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