『楽・遊・学』平成25年3月号原稿

シリーズ わがまち港北

第171回 春の訪れ―河野南畦さんと大倉山・綱島―

 

今年も港北区に春の訪れを告げるイベント、大倉山観梅会が3月9日、10日に開催されます。観梅会の時に、人で埋め尽くされた記念館坂や梅見坂、オリーブ坂、立ち並ぶ出店を見るだけで、何だか楽しい気持ちになります。
現在の観梅会は平成元年(1989年)、その年の4月に控えた市政100周年、区制50周年を記念するプレイベントとして開催されたのが始まりで、平成25年で25回目です。1回目の観梅会は2月18日から26日までの9日間。土日には今でも定番の三曲演奏や区民芸能の他、囲碁・将棋大会などの催しが行われました。昨年の観梅会は寒さのために梅がすっかり咲き渋ってしまいましたが、今年は人の賑わいと共に梅の賑わいも期待したいところです。
大倉山の梅林は戦前から横浜の、また東横線沿線の梅の名所として知られてきましたが、この梅林を愛した人の一人に俳人の河野(こうの)南畦(なんけい)さん(1913~95年)がいます。河野さんは小学生の頃から俳句を作り始め、昭和10年(1935年)に吉田冬葉(よしだとうよう)に入門して、本格的に俳句を学びます。そして昭和21年(1946年)に「あざみ」を主宰創刊し、現代俳句の第一人者として活躍されました。また、昭和31年(1956年)に横浜市内の俳人の親睦(しんぼく)を目的として発足した横浜俳話会の発起人の一人でもあり、昭和50年(1975年)から56年まで会長も務めています。
その河野さんは昭和36年(1961年)4月に、磯子区の杉田から大倉山へ転居してきました。句集『風の岬』(1968年)の後記では、大倉山への転居に関して「磯子のときと同じように梅が多く、丘や野や小川もあり、横浜の郊外と云つた環境で、俳句に親しむには有り難かった」と書いています。杉田は昔、その数3万株以上という梅の名所でした。現在、その多くは姿を消しましたが、磯子区の木には梅が制定されており、港北同様、梅はシンボル的存在です。
さて、大倉山はその後の河野さんにとっての生活の場、そして創作の場ともなりました。特に梅の花が大好きだった河野さんにとって梅林はちょうど良い散歩コースだったようで、河野さんは大倉山の梅についても沢山の句を詠(よ)んでいます。筆者は花より団子タイプですが「梅園の径(みち)振り返り憩(いこ)ふため」(『風の岬』)の句が好きです。この句からは、梅の一本一本をゆっくり楽んでいる穏やかな情景が想像されます。河野さんは満開より二分、三分咲きの頃の梅が好みで、寒い風の中で蕾(つぼみ)を膨らませ、必死で花開こうとしている梅に興趣(きょうしゅ)やいじらしさを感じたり、花見客の多い時には味わえない早春の風情(ふぜい)を楽しんでいたようです。
なお、河野さんの奥様多希女(たきじょ)さんや息子薫(かおる)さんも俳人として活躍しています。多希女さんが大倉山を詠んだ「烏三羽朝のあいさつ眼が合ひぬ」(『横浜俳話会第12句集』2011年)の場面は、筆者もよく遭遇します。また、薫さんは平成16年に第一句集を『大倉山』の題で出版しています。三人の句集は市の図書館にもありますので、是非ご覧下さい。
今年は大倉山観梅会が行われる3月10日に、第17回綱島桃まつりも開催されます(雨天の場合は17日)。ちなみに河野南畦さんは、昭和10年に横浜貿易新報社が行った県下四十五名勝史蹟投票(第160回参照)に併せて募集された名勝俳句川柳で、綱島温泉桃(とう)雲(うん)台(だい)を詠んだ「綱島や歩み疲れて春の暮」の句が佳吟(かぎん)に入選しています。私たちも観梅会と桃まつりをはしごして、一日存分に春の訪れを堪能したら「歩み疲れて春の暮」の情感が味わえそうです。
平成3年(1991年)5月5日の『神奈川新聞』に掲載された河野さんの「筆つれづれ 大倉山付近」によると、この句(記事では「歩み疲れて」は「廻り疲れて」と表記)は昭和10年頃の吟行句(ぎんこうく)で、当時の綱島は「桃やなし畑が広がって花の咲くころは夢幻(むげん)の里に在る思いだった」と述べています。また、「山ろくはかつて天然氷を作っていたところだけに、厳冬期には水田も凍りスケートができた」とも書いています。河野さんは随想集『俳句の素顔』(1963年)の後記で「あたたかい磯子の浜から、横浜の北海道と云はれる港北区に移住したが、直(す)ぐ裏の北側に大倉山梅林を背負つた南向きの家なので、磯子とはあまり気温もかはらぬやうである」と書いていますが、厳冬期のかつての光景が「横浜の北海道」という例えにつながるのでしょう。
冬の寒さは昔ほどではなくなりました。しかし、その後に訪れる春の喜びは今も昔も変わりません。俳句を作ることは、自然が織りなす情景に目を向ける営みでもあります。梅、桃、桜に花水木と区内を彩る花々はどんどん見頃を迎えていきます。いつもの道を歩きながら身近な春を題材に一句詠んでみるのはいかがでしょうか。
記:林 宏美(大倉精神文化研究所職員)

 

 

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