大倉山から綱島へ歩いてみよう

(散策の資料、2005年12月10日、港北区生涯学級)

主催:「グループ・まーず」運営委員会・港北区役所


講師 大倉精神文化研究所専任研究員 平井 誠二 
テーマ
水と生活……港北区域の昔の生活は農業を中心としたもので、ため池・地下水(湧き水・温泉)・鶴見川など水との係わりの中で営まれてきました。今回は、そうした水関連の史跡を中心に見学します。

コース
区役所(13:30集合、トイレ)-綱島街道-市之坪公園(説明)-東横学園大倉山高校-式坂(説明)-いの池(説明)-熊野神社(神職の説明、トイレ)-のの池-大曽根第二公園(説明)-大曽根商店街-大平館-樽町しょうぶ公園(説明、トイレ)-ラヂウム霊泉湧出記念碑(遠望)-大綱橋-鶴見川河川敷(説明、16:00一次解散)-バリケン島-浜京-綱島駅(解散、トイレ)

距離 約4.5㎞(8000歩)


港北区役所
・昭和14年(1939)4月1日、港北区の誕生。最初の区役所は、篠原の大綱小学校分教場跡を仮庁舎とした。
・二代目庁舎は、昭和17年(1942)1月15日に菊名町780番地に木造二階建てとして落成。昭和19年2月18日昼火事で焼失。
・三代目庁舎は、大綱小学校を仮区役所とした。
・四代目庁舎は、昭和22年2月に鉄筋三階建てとして再建し、昭和53年まで使われた。昭和55年8月27日からは港北図書館となっている。
・五代目庁舎は、昭和53年(1978)11月に現在の地に新築・移転した。

市之坪公園(市之坪池)
・市之坪……条里制の遺構か、師岡氏と関係が有るのか?
・太尾の耕地を潤す灌漑用ため池だった。駅の方や大豆戸交差点へ向かって用水路があったらしい。
・自噴していたらしい。昭和42年頃埋め立てた。
・セブンイレブンのところが、元の岩田屋。雑貨や大綱小学校の教科書などを扱っていた。

昔の農業
・熊野神社の筒粥神事の項目を見ると、江戸時代の生産物が分かる。
・鶴見川の水は海水が混じるので灌漑には使えない。鳥山川からの取水か、ため池の水を使用していた。
・明治以降の農作物は、米、麦、養蚕などか盛んでしたが、野菜も多くなり、太尾のたまねぎ、樽のほうずき、大曽根のそらまめ、綱島の桃、ほうずきなどが有名だった。

旧綱島街道
・東横学園の下からフジ食品の前を通り菊名へ抜けるのが旧道。現在の新道は昭和15年頃に開通。

妙義社
・妙義山信仰として、群馬県妙義山へ詣でる代わりに参拝されていたという。
・旧太尾村の東端、西照寺(曹洞宗大乗寺末)境内の鎮守小祠だったが、綱島街道の拡幅に伴い西照寺が廃寺となった後、妙義社だけがここに残った。
・旧太尾村の神社は、昭和33年(1958)6月9日に、6社(天満社、八幡社、杉山神社、熊野社、神明社2社)が旧杉山神社跡地に合祀され「太尾神社」となったが、妙義社は合祀されずに残った。

東横学園大倉山高等学校(大倉山女学校→大倉山学園)
・昭和15年(1940)、高野平氏が大倉山女学校を創立。昭和18年に学校法人大倉山学園の大倉山高等女学校となる。昭和23年、大倉山女子高等学校・大倉山中学校・大倉山幼稚園となる。
・昭和30年(1955)に学校法人五島育英会が、学校法人大倉山学園を合併して、校名を現校名「東横学園大倉山高等学校」に改称、昭和32年より東横学園高等学校の姉妹校として発足した。
*東横学園は昭和13年(1938)に東急電鉄社長五島慶太によって創立され、昭和14年4月に開校した。学校法人五島育英会が経営している。

旧海軍省図書庫と書庫閲覧所
・戦争中に海軍省図書庫が数棟作られ、多くの資料が搬入された。一時は、軍関係者が木陰で閲覧していた。
・昭和20年7月に閲覧所が新築されたが、間もなく終戦となり、昭和27年まで大綱小学校の分教場に使われた。

馬道(尾根道)
・峰道ともいう。昔の幹線道、山の稜線を走る。  *根道(谷戸道、大道)…山の裾を廻る。*野道。
・源頼朝が馬で通ったといわれる。鎌倉街道下道の1つか。

師岡保(もろおかのほ)と師岡氏
・「もろおか」は、たくさんの丘がある所という意味で、かつては「諸岡」と書かれていたが後に「師岡」となった。
・平成13年に、奈良県明日香村石神遺跡から発見された木簡に「諸岡」の地名が記されていた。
・横浜で最も古い地名……平成13年に、奈良県明日香村石神遺跡から発見された木簡に「諸岡」の地名あり。
・師岡保は、鶴見川と帷子川にはさまれた一帯で、小机保を除いた地域。師岡氏が開発した。
・江戸時代は橘樹郡だったが、平安時代は久良岐郡に属していた。
・師岡氏は、『吾妻鏡』にも名が見える。
*10世紀『延喜式』式内社の杉山神社(続日本後記838年記事が初出)と都筑党……鶴見川の少し上流

熊野神社社叢林と市民の森
・市民の森……1980年(昭和55)7月19日指定、面積5.2ha。
・社叢林………1991年(平成3)、県の天然記念物に指定。市街地にありながら、人の手で作られた里山ではなく、極めて自然に近い常緑広葉樹林として貴重。

式坂
・仁和元年(885)、光孝天皇の勅使として京都から派遣された藤原有房が、神社を目前にして儀式を行った場所といわれる。光孝天皇は、社殿を造営せしめ、「関東随一大霊験所熊埜宮」の勅額を賜った。
●大口…勅使の大口袴、足洗川…供奉の者の足を洗った
西寺尾の面滝(めんたき)…顔を清めた、式坂…儀式に臨むところ
獅子ヶ谷…獅子舞の道具を受け持ったという説あり
樽…御神酒の樽を受け持ったという説あり

いの池
・形が「い」の字に似ているから名が付いた(広報375)。
・1988年(昭和63)11月1日、横浜市登録文化財。
・昭和10年頃まで、ここで雨乞い神事が行われていた。その時使った龍の頭の彫り物が博物館に残されている(広報375)。その始まりは、『熊野山縁起』によると、1174年(承安4)の大干魃に、高倉天皇の勅命により神社の別当延朗上人が木彫りの龍頭を12個作り、池の淵で雨乞いの儀式をしたところ、三日三晩雨が降ったという(13回、広報375)。
・池の中央に水神社をまつり、弁財天がおかれていた(広報S63.11)。
・例年8月1日に(池さらいをして)水神祭が行われている(1988年当時、広報S63.11)。
・熊野神社では、古来正月14日に水口祭を行っている(1988年当時、広報S63.11)。
・近くのケヤキ……樹齢600年以上、近隣で一番古く、市の古木・名木に指定されていたが、現在は切株のみ。
・片目の鯉の伝説がある。
・昔、熊野の神が誤って弓で片目を射られた時、池の鯉の目をくりぬいて代用した。それ以来、この池に鯉を放つと、すべて片目が潰れてしまう。ある時、この池の鯉を盗んで売ろうとした男がいたが、「この鯉は片目だ、熊野権現の池の鯉だろう」と一目で見破られたという(広報375)。

法華寺(天台宗)
・港北区内最古のお寺という。
・熊野神社の別当寺で、中世には17坊を抱えていたが、明治元年(1868)の神仏分離令により分離。
・本尊は阿弥陀三尊立像。
・現在の本堂は、昭和47年(1972)に建て替えたもの。
・高倉天皇が写経し、承安4年(1174)に寄進したと伝える大般若経の残欠を所蔵。

師岡熊野神社
・神亀元年(724)全寿仙人が創立。
・師岡一帯の土地を開いた全寿仙人が創立した(広報S58.1)。
・かつては関東の熊野信仰の拠点だったという。
・光孝天皇が、仁和元年(885)に勅使藤原有房を下して社殿を造営させた。
・高倉天皇が、承安4年(1174)延朗に雨乞いの祈祷をさせた。
・源頼朝が、元暦元年(1184)に平氏追討祈願のために大般若経を転読させたと伝えている。
・『江戸名所図会』に俯瞰図が掲載。
・平成16年(2004)10月から、120年ぶりの社殿改修を始めて、17年11月に完了。
・17年7月17日に上棟祭。11月1日に本殿遷座祭。
・熊野郷土博物館
・八咫烏と日本サッカー協会

筒粥神事……1994年(平成6)11月1日、横浜市指定無形民俗文化財。
・天暦3年(949)正月7日、7歳の少女へ神託があってから毎年続く(広報S58.1)。平成17年で1056回。
・小正月の神事として、1月14日寅刻(午前4時)のの池の水を汲み、大釜に神木梛木の5つ葉と米1升と鶴見川岸で取った27本のヨシの筒を入れ、午後4時(2時か)まで約8時間煮て、筒の中に入った粥の量で「かゆうら」をする(広報S58.1)。
・占うのは、大麦、小麦、早稲・中手・奥の米から始まって、ひえ(稗)、粟、大豆、小豆(あずき)、大角豆(ささげ)、ふんどう(緑豆or八重なりあずき)、あさ(麻)、な(菜)、大根、荏(えごま)、ごま(胡麻)、きび(黍)、いも(芋)、そば(蕎麦)、霜粟(晩生のアワ)、夕顔(かんぴょう)、かいこ(蚕)、茶といった農作物の作柄と、日、雨、風、世の中の27項目。
*しめよりの神事……昭和30年(1955)頃まで藁の大蛇を作り村境の木に架けるという神事を行っていたが、これは元暦元年(1184)源頼朝の発願により始められたと伝えられている(59回)。

のの池
・熊野神社の社殿の裏にある。●宙水(ちゅうすい、ちゅうみず)。地下水面より上の地下水。
・ここの水を神社の神事に使用する(広報S63.11)。
・1250年くらい前からの池(広報377)。
・一度も枯れたことが無く、溢れたことも無く、「禅定水」といわれる(広報377)。
・640年くらい前に、落雷で社殿を焼失したが、御神体・宝物類は全てこの池の中に入れて焼失を免れたと古記録に伝える(広報377)。

師岡貝塚
・平成6年(1994)11月1日、横浜市指定史跡。縄文海進によって形成された古鶴見湾岸に分布する約30ヶ所の縄文時代前期貝塚群のうちで保存状態が良好であり、市域では類例の少ない中期前半の貝塚として学術的価値が高い。
・権現山の東斜面、昭和50年代に発掘、東西20m、南北15m、縄文前期から中期。

樽町上組神明社
・平成15年2月、現在の社殿が竣工。

愛国寺跡
・神明社の北側にあった寺。大日本国防総本山尊皇山愛国寺。最初に完成したのは観音堂で、後に本堂・忠勇文庫・皇道義塾舎・武徳殿などを建設しようとしていた。関連施設として、日吉の台上に精神道場の建設も考えていた。
・国防運動として、精神軍備の充実を目指した。            ←物質軍備
忠君愛国の全犠牲者を仏として祭祀しようとした。
・栗原勇大佐が、退役後に「義雄奉公の誠を尽さんものと思ひ立ち」、畠山重忠の顕彰、一銭献金などを行い、愛国寺も建立した。
・息子の栗原安秀中尉は、昭和11年(1936)の2・26事件で処刑された。遺書で、遺骨を愛国寺と畠山重忠霊堂へ分置するように願ったが、当局の許可が下りなかった。
・事件後、憲兵隊が捜査に来て大騒ぎになった。

盗ッ人ヶ谷戸(ぬすっとがやと)
・産ヶ坂のあたりは、樹木が鬱蒼としていて、昼なお暗く、里人も近寄らなかった。

産ヶ坂(うぶがざか、おぼう坂、おぼろ坂、おぼが坂)
・三菱病院(1962年開業)の先(南側)のガソリンスタンドの前の坂。
・血の池伝説① 女六部(巡礼または乞食)が、ここで子供を産んだが、通りかかる人もなくて、ちの池まで来たところで力尽きて池にはまって死んだ。翌朝、人々か集まってみると、池の水が真っ赤に染まって、血の池の様だったことから、池の名と坂の名が付いた(広報377)。

氷場
・三菱病院のあたりに、「氷室」と呼ばれる土地がある(『大曽根の歴史』)。

ちの池(大曽根第二公園、ちの池公園)
・元はため池で農業用水に使用していた、昭和44年(1969)に児童公園になった。
・池の広さは、3306㎡、樽村に流す水と、大曽根村に流す水の水門があったが、文化年間(1804~17)に中央を仕切った。今の公園はその東半分の樽村分で、西の大曽根分は宅地になっている(わたしたちのおおそね)。
・妊婦が通りかかると、六部の霊に池へ引き込まれたという(広報377)。
・血の池伝説② 池に生えているマコモが、秋になると赤みを帯びて水が赤く見えた(わたしたちのおおそね)。
・血の池伝説③ 水争いがあり、怪我人の血で池が染まった(わたしたちのおおそね)。

大曽根商店街
・写真、1980年頃、毎月第3日曜日朝市のにぎわい(とうよこ沿線1)。朝市は2005年現在も続く。

太平館(元は共立湯)
・昭和24年創業。ラジウム鉱泉の銭湯。区内の銭湯は12軒、内5軒が温泉。
・営業時間(15:30-23:30)、入浴料は、大人400円、中人180円、小人80円。金曜定休。
・「昔のままの作りで天井が高く柱も太いし番台の作りも素晴らしい。浴槽は熱めの黒湯が2つと白湯が有ります。黒湯は濃くとても良いと思います。白湯は少し塩素がきつい感じして入りませんでした。壁絵は富士山です。」(銭湯巡りのホームページより)

菖蒲園
・樽町二丁目1-1(宮川製作所の裏辺りか)。東急が昭和8年(1933)開園、3年で閉園。水田4000㎡に5万株(区史)。
・大倉山の梅、綱島・樽の桃、鶴見川岸(大正堤か)の桜、大曽根の梨など花の名所が多かった(区史)。
・「樽町しょうぶ公園」や、「菖蒲園前」の交差点・バス停に名を留めている。

ラヂウム霊泉湧出記念碑
・大綱村長飯田助大夫快三は、天然氷の事業をしていたので、水質検査が必要と考えて依頼したらしい。

大綱橋
・1405年(応永12)に綱島橋(少し下流、旧大綱橋)が架けられた。江戸時代は7年に1度位補修をしていた。
・明治22年に大綱村が出来た時から「大綱橋」となった。
・現在の橋は、西側が昭和45年(1970)に、東側が昭和52年(1977)に竣工。
・下流に鷹野橋、江戸時代の鷹場のなごり(広報414)。

鶴見川
・全長42.5キロ、一級河川として、河口から第3京浜までの17.4キロは国土交通省が管理している。
・昔から洪水を繰り返してきた。
・平成15年6月15日に多目的遊水地が運用を開始した。84ヘクタールに39億リットルの水を貯められる。
・平成16年10月の22号台風の時、125万立方メートルの水を貯めた。

大正堤の桜並木
・明治43年(1910)の大洪水を契機として、県が中心となり両岸の堤防を改修し、大正3年(1914)に完成記念として桜並木を作り、名所となった。

京浜工事事務所綱島出張所跡地
・平成15年(2003)に、河川事務所と改称し、小机の流域センターへ移転。

鶴見川警報設備
・平成16年12月、鶴見川警報設備が作られた。多目的遊水地から鷹野大橋辺までの5キロに11ヶ所。遊水地からの緊急放水を知らせるため。

河川監視用のカメラ
・遊水地東側駐車場、亀の子橋、綱島、末吉橋の4ヶ所他約30ヶ所に設置。
・24時間監視しており、京浜河川事務所のホームページでライブ映像を見られる。
・深夜から早朝は、テレビでも放送している。

バリケン島 ●2005年現在もいる
・バリケンの棲む「バリケン島ビオトープ」、地域の人達が、鶴見川を管理する国土交通省京浜工事事務所の協力を得て、大切に世話をしている。バリケンは、ガンカモ科の家禽でアヒルに似た鳥です。飼育されていたのが捨てられて、野生化してここに棲み着いたという。バリケン島は、アシが茂る川辺の湿地で満潮になると島になります。ここには水辺の様々な生き物が棲息し、生態系を形成しており、「ビオトープ」(生き物の場所)として保護されている。

池谷邸
・南綱島村の旧名主家。
・道太郎が桃栽培を近隣に広めた。
・池谷光朗さん……桃をとおして、綱島の活性化に取り組んでいる。自宅前に桃畑。区役所屋上に植樹も。
・書院と土蔵の間に「お鷹部屋」があった(広報414)。
・野廻り役の池谷重兵衛は分家(広報414)。御拳場、御捉飼場と鷹匠。
日月桃……明治40年(1907)、池谷道太郎の発見
・桃は水害に比較的強く、綱島の砂質土壌が栽培に適している(15回)。
・極早生で小振りの品種。最盛期、288万個の生産(30回)。
・1970年頃最後の1本が枯れる。1998年(平成10)につくばの果樹試験場から接ぎ木(30回)。

東京園
・元は東急電鉄が昭和2年(1927)4月に営業を始めた「綱島温泉浴場」。入場券付き電車回数券もあり。
・後に東芝の保養所や兵隊の寮、臨時の小学校として使われたりした。東京園が引き継いだのは戦後のこと。

浜京
・現存する数少ない綱島温泉の1つ。横浜市立学校教職員互助会の保養施設。一般利用可。
・京都の料亭を擬した純日本家屋。横浜の「浜」と、京都の「京」。

鶴見川花火大会
・昭和59年(1984)に始まり、平成11年(1999)7月30日の第16回(3,000発)で中止。
・駅前の歩道のタイルに注目。

綱島駅
・大正15年(1926)2月14日、「綱島温泉駅」開業。昭和19年(1944)10月20日「綱島駅」に改称。

以上