『楽・遊・学』平成22年10月号原稿

シリーズ わがまち港北

第142回 舞台は大倉山高等女学校  -高野平の物語-

 

昨年11月28日の『神奈川新聞』は、アニメ「夏のあらし!」とタイアップして、地域振興に取り組んでいる大倉山商店街を取り上げています。アニメは、昨年2期にわたりテレビ放送されました。原作の漫画は現在も雑誌に連載中です。
物語のヒロインは、戦争中に「大倉山高等女学校」へ通っていた少女で、横浜大空襲に巻き込まれ幽体となり、現代に現れるという設定です。物語の大倉山高等女学校は、大倉山駅を最寄りとする学校だったが、現在は市が公民館として使用しているという設定になっています。大倉山駅の近くで現在は公民館といえば、大倉山記念館を連想します。そこで調べてみました。原作者の小林尽(じん)氏は、インタビューで「大倉山高等女学校は、大倉山にある廃校になった学校をモチーフにされたのでしょうか?」との問いに、「正確にいうと、大倉邦彦(大倉山記念館の創設者)があの一帯を文化的に開発した時に作ろうとしていたけれど、戦争で計画倒れになっちゃった学校があって、それがもし高等女学校だったとしたら?ということで設定しました」と答えています。やはり、モデルは大倉山記念館でした。小林仁氏が言う「戦争で計画倒れになっちゃった学校」とは、第8回で紹介した「幻の神奈川高等学校」のことです。
では、質問の「大倉山にある廃校になった学校」とは何でしょうか。実は、アニメと同じ名前の学校がかつて大倉山に実在しました。大倉山記念館とは駅をはさんで反対側になります。昭和15年(1940年)に高野平(たかのたいら)氏が大倉山女学校として開校し、昭和18年に校名を大倉山高等女学校と改称した学校です。大倉山高等女学校は、昭和23年に大倉山女子高等学校に改称し、中学校と幼稚園も併設しました。昭和31年に五島育英会と合併し、東横学園大倉山高等学校となりましたが、平成20年(2008年)3月、東横学園高等学校(現、東京都市大学等々力中学校・高等学校)に統合されました。跡地は、高い鉄板の塀に囲まれて、元の校舎がまだそのまま残っています。
東横学園大倉山高等学校になってからの歴史は、統合時に作られた『大倉山五十年史』にまとめられていますが、それ以前の女学校時代のことや創設者高野平氏のことを知りたいと思っていたところ、前々回で紹介した空襲の座談会の打ち合わせで、小野静枝さんから貴重な情報を教えていただいたことがきっかけとなり、少し分かってきました。
高野平氏は、昭和60年(1985年)に95歳で逝去しています。逆算すると明治23年(1890年)生まれでしょうか。当人の記述によると、「東北の寒村の貧家(ひんか)」に生まれ、高等小学校卒業後は小作農を2年して、その後は働きながら小学校教員の資格を取り、15年間教員として働き、35歳で恩給を得たのを機に退職して、大学へ進学します。妻と3人の子供を養いながら、昭和6年(1931年)に東洋大学を卒業し、昭和10年に日本大学を卒業しています。卒業論文で「新撰万葉集」の研究を手がけますが、卒業後は学校経営をすることになり、研究は中断します。昭和15年に大倉山女学校の経営者になった時は50歳位でしょう。
『東横学園20年史』に掲載されている高野平氏の回想によると、長年にわたる教育経験を、自らの経営による学園において実践する機会を与えられて、学校設立の話が具体化したのは、昭和14年12月になってからでした。それから校地の選定を始めて、綱島の飯田助丸(いいだすけまる)代議士を紹介してもらい、さらに太尾町(現、大倉山)の前川清一郎氏の世話で1,000坪の土地を借り受けたのが校地の一部となりました。学校設置の書類作りを始めて、申請書が完成したのが昭和15年1月中旬、神奈川県学事課に提出して、設置認可が下りたのが2月19日でした。校地の地ならし、校舎の建設、生徒の募集をして、昭和15年4月に、大倉山女学校が開校し50名の生徒が入学しました。この間わずか5ヵ月、校舎の竣工が開校に間に合わず、歓成院(かんじょういん)(第114回参照)の本堂を借りて授業を開始したそうです。
戦後、事情があって、昭和31年3月に学校を五島育英会に譲り渡し、高野自身は一教員となります。高野は、東横学園女子短期大学の非常勤講師(昭和42~47年)も務めています。高野は、学校経営から離れた後は、中断していた「新撰万葉集」の研究に没頭し、著書『新撰万葉集に関する基礎的研究』で昭和48年に文学博士の学位を得ています。
太尾の丘の常(とこ)緑 木々にさえずる鳥の声 ここに学びの 幾年(いくとせ)は 自然の幸もさながらに
作詞者も作曲者も分かりませんが、大倉山高等女学校の校歌です。作詞者は高野平でしょうか、この校歌を歌って卒業した人たちと、横浜大空襲に遭遇したアニメのヒロイン、現実と物語がどこかで交錯していきます。

 

記:平井 誠二(大倉精神文化研究所研究部長)