『楽・遊・学』平成24年4月号原稿

シリーズ わがまち港北

第160回 地上の桃源郷 -県下45名勝・史蹟投票-

 

3月11日、第16回綱島桃まつりが開催されました。お祭りの中で、桃源郷(とうげんきょう)の話が出たので、帰りに、市民の森から綱島公園を抜けて、桃雲台(とううんだい)へ上ってみました。東横線と綱島街道にはさまれた小高い丘です。街道沿いの歩道から、急勾配の石段を102段上ると、鳥居や石碑などがあるだけの小さな広場があります。かつては、南・北綱島村の鎮守神明社(しんめいしゃ)があった場所です。現在は樹木や笹が生い茂っていますが、綱島の桃栽培が盛んだった大正から昭和にかけては、ビューポイントとして評判を呼んだ場所です(第99回参照)。
最盛期の綱島には20ヘクタールを超える桃畠があり、一面に桃の花が咲き乱れると、「これから春3月、うす紅のヴェールに包まれた桃源の里、夢の綱島」「価一刻超千金(あたいいっこくちょうせんきん)」(昭和11年2月7日付け『横浜貿易新報』)と謳(うた)われるほどの景勝地でした。
この桃雲台を一躍有名にしたのが、『神奈川新聞』の前身である『横浜貿易新報』が、昭和10年(1935年)に創業45周年と新社長就任の記念事業として実施した、県下45名勝・史蹟投票でした。県下45名勝・史蹟投票については、百瀬敏夫さんが『市史通信』第6号に、相澤雅雄さんが『タウンニュース』緑区版「緑区域の歴史をつむぐ」第23~25回で詳しく書かれているのでご覧ください。
さて、投票は9月5日から10月5日までの1ヵ月間で、毎日その日の午後5時までに受け付けた投票用紙を集計して、翌日に速報記事が紙面を賑わしました。9月6日の第1回集計結果では、「宣戦(せんせん)の烽火(のろし)挙(あが)り 登場の名勝史蹟 震生湖(しんせいこ)、桃雲台、衣笠城跡(きぬがさじょうあと)」の見出しが躍り、“戦意高揚(こうよう)”が図られています。綱島の桃雲台は34票で1位タイ、「桃源の夢を楽しましめる市内綱島の桃雲台(神明山(しんめいさん))」と紹介されています。ちなみに、小机の小机城址(こづくえじょうし)は14票で11位タイとなっていました。
県下各地の候補地は、最終的には333ヵ所になり、総投票数も4,599,658票に上りました。得票数の少なかった候補地は新聞紙上に取り上げられなかったのでその全容は不明ですが、現在の港北区域で場所が判明してるのは、綱島の桃雲台、小机城址、綱島温泉、新羽(にっぱ)の亀甲山(かめのこやま)、太尾(ふとお)の文殊菩薩堂(もんじゅぼさつどう)、新吉田(しんよしだ)の若雷神社(わからいじんじゃ)の計6ヵ所です。桃雲台と綱島温泉は、当初は別々でしたが、9月11日からは併(あわ)せて1つの候補地として集計されたようです。太尾の文殊菩薩堂は、9月10日に1度登場するだけですが、「北条早雲寺本尊」と書かれていますので、龍松院(りゅうしょういん)のことです。
投票は、新聞に印刷された投票用紙を切り取って使うことになっていました。各地で組織票が大量に投じられ、順位を左右していきます。桃雲台では、9月13日の222票が翌日には一気に3,430票となり、29日の5,897票が翌日は10,513票、最終日にはなんと1日だけで約36,000票も集まっています。最終結果は、桃雲台が26位(59,374票)で、若雷神社は29位(46,799票)で45撰に入選しています(第89回参照)。亀甲山は68位(2,261票)、小机城址は74位(1,766票)でした。小机城址と亀甲山は、450年ほど前に矢野兵庫助(やごひょうごのすけ)と太田道灌(おおたどうかん)が敵味方に分かれて戦った場所ですが(第4回参照)、ここでも相争って、今回は太田道灌の亀甲山が勝つのではなく、共倒れになってしまいました。鶴見川をはさんだ対岸ですから、新羽新道の開通・拡幅(『港北百話』参照)の時のように、新羽と小机の力を合わせて1つの候補地として戦っていれば、入選出来たかも知れません。
投票をさらに盛り上げるため、9月20日からは、名勝を詠(よ)んだ俳句や川柳の募集も始まりました。各地からなんと22,943句が集まり、12月16日の紙面で入選句が発表されました。推薦句を紹介しましょう。
暁(あ)けうつる 温泉宿や 桃の花霞(くも)  森田楓葉
桃雲台から早春夜明けの綱島を見下ろして詠(よ)んだ句でしょう。町全体が桃色に染まって見えたという、桃雲台の名前の由来を詠み込んでいます。
花咲くや 温泉(ゆ)の里つなぐ 橋一つ 青木玉振子
綱島温泉は、最初に樽村で発見されたので、温泉宿も大綱橋(おおつなばし)をはさんで綱島側と樽側にありました(第62回参照)。桃雲台から鶴見川の対岸の温泉宿を遠望しながら詠(よ)んだ句でしょう。漢字の読みが違っていたらお教えください。
さて、当選した45ヵ所には、本社から「祝賀訪問隊」として、記者、写真班、俳句・川柳の審査員らが日産の「ダットサン」4台に分乗して巡歴しました。桃雲台には、10月23日午前9時に、その後9時半には若雷神社にやって来ました。
綱島では、地域の代表や、商売の各組合長、温泉旅館の主人等が出迎え、桃雲台の上で、綱島温泉の発展を喜び合いました。若雷神社では、氏子総代や新田村(にったむら)助役、駐在巡査、青年団支部長等50余名が出迎えたことが、記事になっています。また、当選した45名勝史蹟は、新聞紙上で順次写真付きで詳しく紹介されていきました。桃雲台は、昭和11年2月7日、若雷神社は2月13日に紹介されています。
3.11から1年が経過しました。綱島が、港北区が、そして日本、世界が、桃源郷になれますように…。

記:平井 誠二(大倉精神文化研究所研究部長)

 

 

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