港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)

第112回 12年に一度の霊場巡り -その1-


小机(こづくえ)といえば毎年4月の小机城址(こづくえじょうし)まつりが楽しみですが、今年はもう一つ、旧小机領三十三所観音霊場(きゅうこづくえりょうさんじゅうさんかしょかんのんれいじょう)のご開帳(かいちょう)があります。これは、12年に一度子の年(ねのとし)に開帳されますので、子年観音(ねどしかんのん)ともいわれます。今年は、4月1日から5月6日まで開帳されます。これを逃すと次回は12年後ですから要注意。開帳(かいちょう)とは、秘仏など普段は見ることの出来ない仏像を、お寺で日を決めて拝観させてくれることです。開帳をする33か所の寺を札所(ふだしょ)といい、札所を巡ることを巡礼(じゅんれい)といいます。
旧小机領三十三所観音霊場の始まりは、江戸時代、第8代将軍吉宗(よしむね)の享保年間(きょうほうねんかん、1716~36年)のようです。都筑郡本郷村(つづきぐんほんごうむら)の法昌寺(ほうしょうじ、第33番札所、元緑区東本郷町で現在は青葉区奈良町)に残る石碑(せきひ)によると、瀧野愛勝という人の発願(ほつがん)により、法昌寺(ほうしょうじ)の宗運和尚と朝庵和尚が、小机村の泉谷寺(せんこくじ)の第17世転誉理察上人を訪ねて霊場を作ろうと相談したのが始まりと伝えられています。この三人が小机領内の寺を巡り、札所となる寺を選び、格の高い転誉上人が代表となり、享保17年(1732年)に幕府へ霊場開設を願い出ます。それから24年後の宝暦6年(ほうれきろくねん、1756年)に最初のご開帳が行われたと伝えられています。この年が子年(ねどし)であり、以後12年毎の子年に開帳が行われることとなり、現在まで続いているということです。
しかし、第7番札所本覚寺(ほんがくじ、神奈川区高島台)と第8番札所宗興寺(そうこうじ、神奈川区幸ヶ谷)には享保9年(1724、辰年)の札所標石(ひょうせき)がありますし、第12番札所歓成院(かんじょういん)には入り口右側に、「小机三拾三處十二番目(こづくえさんじゅうさんかしょじゅうにばんめ)」と刻まれた享保11年(1726、午年)の標柱(ひょうちゅう)がありますから、三十三観音の始まりは伝承よりもうすこし古く、子年に総開帳が行われるようになったのが宝暦6年ということでしょう。
観音様は、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)といい、この世(現世)で人々を苦しみから救ってくれる菩薩とされています。そのため、昔から人気があり、現在でも全国に約90か所の観音霊場があります。しかも、その内70か所程は、33か寺の札所から成っています。旧小机領の霊場もその1つです。これは、観音様が人々を救う時には、相手に応じて33種類の姿に変身して現れるという説があることから、観音の功徳(くどく)にあずかりたい人々が、観音像を祀(まつ)る寺を33か所集めて霊場として巡礼するようになったものです。
旧小机領の霊場を全て廻ると、距離にして20里16町(にじゅうりじゅうろくちょう、約80キロ)といわれます。今ではバスツアーもありますが、昔は2泊3日で歩いたのだそうです。お寺は信仰の場所です。お参りの時はマナーに気をつけましょう。
では、次回から港北区内にある各札所を紹介しましょう。

付記 4月4日発売の季刊誌『横濱(よこはま)』第20号は、「鶴見川流域の物語」を特集しています。小机城周辺の散策案内や鶴見川流域の農産物、小机商店街、鶴見川を往来した川船、大倉山記念館など港北区域の情報も満載です。

(2008年4月号)