港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)

第117回 祝、横浜線100周年と菊名駅82周年

 

9月23日、JR横浜線は明治41年(1908年)の開通から100周年を迎えます。現在、横浜線には港北区内に菊名駅、新横浜駅、小机駅の3駅がありますが、開通時からある駅は小机駅だけです。JR菊名駅は東横線の開通と東急菊名駅の開業に合わせて大正15年(1926年)9月1日に開業しましたので、本紙発行日でちょうど82周年になります。新横浜駅はもっと新しく、東海道新幹線の開通に伴い、昭和39年(1964年)10月1日に開業したものです。
当初、横浜線は単線で蒸気機関車が走っていました。昭和7年(1932)10月1日に東神奈川駅と原町田駅(現在の町田駅)の間が電化され、桜木町駅までの乗り入れも始まりました。これを記念して東京鉄道局が発行した『横浜線と其電化』という小冊子には、巻末に沿線各駅周辺の観光地が紹介されています。港北区域としては3か所、①菊名駅の東(正しくは北)約1キロ半にある「大倉精神文化研究所」、②小机駅の西北約半キロの「小机城趾(城址)」、③小机駅の東約半キロの「泉谷寺と広重の筆」が挙げられています。「広重の筆」とは、県の重要文化財に指定されている板絵着色山桜図のことです。いずれも以前に本シリーズで紹介しています。もう一か所、菊名駅の東南約2キロの「橘農園」が牡丹の名所として紹介されていますが、これは港北区外です。
横浜線の複線化は最近のことですから、ご記憶の方もおられるでしょう。単線ゆえの列車本数の少なさと、待ち合わせ時間の長さは、増加する通勤客にとって不満の種でした。長年の陳情活動の結果、昭和39年(1964年)12月から複線化工事が始まります。昭和42年(1967年)10月22日の菊名・新横浜間を手始めとして、順次複線化が進みますが、単線部分の待ち合わせの関係から運行ダイヤは一向に便利にはならず、全線が複線化して問題が解決したのは、今からわずか20年前の昭和63年3月13日のことでした。
さて、横浜線が開通しても港北区域には小机駅しかありませんでしたから、菊名周辺の住民にとっては、線路を眺めるだけで、不便をかこっていました。やがて横浜線と交差する形で東京横浜電鉄神奈川線(東急東横線、第3回参照)が計画され、大正15年(1926年)2月14日に菊名駅が開業します。東急では、最初菊名駅を現在地より少し南の菊名1号踏切のあたり(錦ヶ丘のロータリーの近く)に作る予定でいたそうです。
この時期、横浜線にも菊名駅を作る計画がありました。大豆戸町で農家をしていた加藤さんによると、その場所は寺尾トンネルの手前、法隆寺踏切との間あたりだったそうです。しかし、地主等が反対したために計画倒れになり、今では詳細は不明です。ただ、サトウマコト著『横浜線物語』にも同様の逸話が載せられています。東横線と横浜線の両駅が当初の計画通りに作られていたら、両線と菊名桜山公園(仮称、通称カーボン山)に挟まれた辺りが駅前の繁華街になっていたことでしょう。そこは、ちょうど旧綱島街道が真ん中を通っています。旧綱島街道には、鉄道が開通する以前から乗合馬車が運行していました。馬車は後にバスになります。この停留所が菊名3丁目にかつてあった江戸屋という小料理屋の前にあり、その辺りには数軒の店もありました。両駅が停留所を挟む位置に計画されたのは、そのことと関係があったのかも知れません。
地元の意向により、東横線の駅の位置は少し渋谷よりに寄せられて、横浜線の北側に東急の菊名駅が開業しました。東横線は、先に敷設されていた横浜線の線路の下を潜るために、地面を1メートルほど掘り下げて作られました。そのために、大雨が降るとよく冠水し、不通になりました。この問題を解決するには、両線路を付け替える必要がありました。横浜線を1120㎝、東横線を90㎝程上に上げたのは昭和47年(1972年)のことでした。
菊名駅東口駐輪場の脇に、横浜線の高架下を通る路地があります。この道は、菊名池から流れ出る用水路を暗渠にした跡です。高架の東側にある煉瓦の橋脚が盛り土をする以前の線路の位置を表しています。篠原町の臼井義幸さんのご教示によると、この煉瓦は「イギリス積み」という積み方をしており、明治39年の開業当時からのものと思われます。100年間横浜線を支えてきた貴重な文化遺産だと思いますが、スプレーで心無い落書きがされていて残念です。また、横浜線開通時に敷設されていたと思われるアメリカ製の古レールが、菊名記念病院近くの線路際のフェンスを張る支柱に再利用されています。臼井さんに案内していただき、見て来ました。
JRと東急の両線が交差する菊名駅は、両線を結ぶ貨物の連絡線の撤去(昭和41年)、駅舎の高架化(昭和47年)、JR駅舎の建設と改札口の分離・駅業務の委託終了(平成7年)などを経て、現在では連絡通路と駅西口のバリアフリー化が話し合われており、さらなる進化を遂げようとしています。


(2008年9月号)