港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)

第13回 龍神様と雨乞い

今年(平成12年)は庚辰(かのえたつ)の年です。このように年月日を数える十干十二支(じっかんじゅうにし)の干支紀年法(かんしきねんほう)は、古く中国の殷(いん)代にはすでに成立していました。そして、中国の戦国時代(BC480~247年)頃より、文字の読めない人にも覚えやすいように、十二支に動物を充(あ)てるようになりました。辰(たつ)には伝説の霊獣(れいじゅう)である龍(りゅう、たつ)が充てられました。干支紀年法は、5世紀頃までには日本にも伝えられ、明治5年(1872)までは公式に使われていました。
さて、龍は鱗介類(りんかいるい、鱗(うろこ)や甲羅(こうら)を持った生物)の長(かしら)とされ、平素は水中にひそみ、水と密接な関係をもち、降雨をもたらすと考えられていました。そのため、水神の蛇(へび)信仰と結びつき、龍神、龍王などと呼ばれるようになりました。各地の年中行事には、水と耕作をつかさどる龍の農業神的な性格を見ることができます。
第7回にもお話ししたように、港北区は、鶴見川の流域に位置し、かつては稲作を中心とした農村地帯でした。低湿地帯でありながら、干魃(かんばつ)にもあいやすいという土地柄でしたので、各地で雨乞い(あまごい)が行われていました。師岡(もろおか)熊野神社の熊野郷土博物館には、承安(しょうあん)4年(1174)高倉天皇の勅命により、延朗上人(えんろうしょうにん)が雨乞い神事をおこなった時にみずから彫刻したという十三頭の龍頭が展示されています。この龍頭は、近年まで「いの池」でおこなわれていた雨乞い神事に使用されていました。樽(たる)では、本長寺(ほんちょうじ)の境内に八大龍王の石塔を建てて龍神を祀り、身延七面山や大山に詣でて分けてもらった水をかけて雨乞いをしました。新羽(にっぱ)では、西方寺(さいほうじ)の住職が寺持ちの神社へ赴き、龍王様をかたどった龍を藁(わら)で作り、水を入れた大きな桶の中に浮かして請雨経(しょううきょう)を読誦(どくしょう)しました。日吉(ひよし)や城郷(しろさと)でも、大山からもらってきた水を使って雨乞いがおこなわれていました。
このように、かつては区内各地で様々な雨乞いがおこなわれていましたが、都市化が進み、昭和30年頃までには無くなってしまいました。しかし、自然に対する畏敬の念や水を大切にする気持ちは、いつまでも持ち続けていきたいものです。
さて、連載も2年目に入りました。今年もよろしくお願いいたします。

(2000年1月号)