港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)

第4回 小机城の夢の跡

現在の港北区の中心はどこでしょうか。これは大変難しい質問で、様々な答えがありそうです。しかし、これが室町時代なら、みんな小机城(こづくえじょう)と答えたことでしょう。
JR横浜線小机駅から北西に徒歩一五分、第三京浜(だいさんけいひん)をはさんで小机城市民の森(第28回参照)が広がります。ここは、鶴見川(つるみがわ)右岸に突き出た高さ二五メートル程の丘で、城山(しろやま)と呼ばれています。上部は平らに削られており、その名の通りかつては城が築かれていました。築城の年代は不明ですが、鎌倉時代のことといわれています。
室町時代になり、文明9年(1477)に山内上杉家の家臣長尾景春(ながおかげはる)が、家督(かとく)争いに端を発して反乱を起こしたとき、影春に味方した矢野兵庫助(やのひょうごのすけ)がこの城に立て籠(こ)もりました。上杉方からは江戸城の築城で有名な太田道灌(おおたどうかん)が攻めましたが、戦巧者(いくさこうしゃ)の道灌でも落城までに2ヶ月を要したと伝えられています。
その後、小机城は一時廃城となりましたが、やがで小田原北条氏(後北条氏)の勢力下に置かれ、笠原越前守信為(かさはらえちぜんのかみのぶため)が城代となりました。城の周囲に現在も残る土塁(どるい)や空堀(からぼり、深さ12メートル、上部の幅20メートル)はその頃築かれたものです。また、小机駅の南にある雲松院(うんしょういん)は信為が建立(こんりゅう)した笠原氏の菩提寺(ぼだいじ)です。この笠原氏の下、近在の武士団は小机衆(こづくえしゅう)として組織され、小机城は後北条氏の有力な支城となりましたが、天正(てんしょう)18年(1590)後北条氏の滅亡により、廃城となりました。
さて、大倉山の北側の山裾(やますそ)に「殿谷(とのやと)」という地名があります。古伝によると、笠原氏一族の者がここに砦を築き住んでいたことから、この地名が付けられたとのことです。梅林脇の龍松院(りゅうしょういん)も笠原氏の開基(かいき)になります。旧家の冨川家(ふかわけ)はその子孫にあたるといいます。
現在の小机は、地理的には港北区の南西の端に位置していますが、駅から横浜国際総合競技場(第10回、41回参照)まで徒歩5分、スポーツでは港北区の中心地となりつつあります。

(1999年4月号)