港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)

第47回 港北の七福神たち -その1-

神様から福徳(ふくとく)を授かりたいとは誰しもが願うことでしょう。7人の福の神をまとめて信仰する七福神信仰(しちふくじんしんこう)は、古くは室町時代後期に成立したといわれています。この七福神信仰は、庶民信仰の中から自然発生的に生まれたもので、「竹林の七賢人(ちくりんのしちけんじん)」や中国の「八仙(はっせん)」との関係を指摘する説もありますが、なぜ7人なのかはよく分かりません。この七福神は、現在では恵比寿(えびす、夷)、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、布袋(ほてい)、福禄寿(ふくろくじゅ)、寿老人(じゅろうじん、寿老神とも)、弁財天(べんざいてん)の7人が一般的ですが、江戸時代には福禄寿と寿老人が一体であるとされたり、吉祥天(きっしょうてん)や猩々(しょうじょう)、南極老人などが加わることもありました。俗説では、江戸時代初期に天海僧正(てんかいそうじょう)が徳川家康の命を受けて、人心を鎮めるために、七福神に寿命・有徳・人望・清廉・愛敬・威光・大量の七徳を配して、信仰を広めたともいわれています。
この七福神は、お寺の宗派や本尊(ほんぞん)、神社の祭神などには関係なく、様々な寺社に祀(まつ)られています。七福神を祀る寺社を順に参拝する七福神巡りは、今から200年ほど前に江戸の谷中七福神(やなかしちふくじん)で、正月行事として始まったようです。文政6年(1823)に書かれた『享和雑記(きょうわざっき)』に「近頃正月初出(はつもうで)に七福神参りといふ事始りて遊人(ゆうじん)多く参詣(さんけい)する事となれり」と記されています。
その後全国に広がり、現在では約300か所のコースがあり、なお増え続けています。比較的簡単に廻れることと、地域興しにもなることから、寺社だけでなく観光業者や地元自治体がバックアップしていることも多く、縁起物の開運グッズが販売されていたりします。
『日本民俗大辞典』(吉川弘文館、1999年)によると、最近では1975年頃からブームになっており、大石真人(おおいしまさと)編『昭和61年度版全国七福神めぐり』には、関東を中心に全国の64例が紹介されているそうですから、近年になり急速に増加していることが分かります。
港北区の七福神は昭和40年(1965)に発足(ほっそく)しましたから、比較的早い例といえるでしょう。
昭和40年(1965)、菊名の山本清次さんが呼びかけて港北区内の7つの寺が集まり、港北七福神会を作りました。そして、「横浜港北七福神」として翌年正月から七福神巡りが始まりました。その後、名称は昭和52年(1977)に「横浜七福神」と改称されて、現在に至っています。
では各お寺を紹介しましょう。順番に決まりはないようです。
一、興禅寺(こうぜんじ、高田町) 天台宗、寺伝によると仁寿(にんじゅ)3年(853)慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)の開山と伝え、十一面観音が本尊です。雅楽会が有名です。ここは福禄寿(ふくろくじゅ)を祀っています。福禄寿は、中国道教(どうきょう)の長寿神で、幸福、俸禄(ほうろく)、長寿を授けてくれるといわれます。鶴に乗り世界中をまわって道を教えたことから、旅行の安全を守る神としても人気があります。(以下次号)

(2002年11月号)