港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)

第6回 地名は語る

梅雨(つゆ)が近づくと、鶴見川(つるみがわ)の氾濫(はんらん)が思い出されます。昭和41年(1966)には、開業間もない新横浜駅が湖の中に浮かんだようになりました。また、昭和13年(1938)の大洪水では、支流恩田川(おんだがわ)との合流点で堤防が決壊(けっかい)し、川和(かわわ、現緑区)から鶴見川の河口(かこう)まで泥の海に十日間も水没しました。そのほか数え上げると切りがありませんが、港北区域は、かつては水害を大変受けやすい地域でした。そのことは、地名によく表されています。
古い地名には、由来に諸説がありはっきりとは分からないことも多いのですが、たとえば、町名を見ていくと、岸根(きしね)は沼の岸に沿った丘陵(きゅうりょう)の裾野(すその)、樽(たる)は渓谷(けいこく)が段を成していて雨時(あめどき)に滝となる所、綱島(つなしま)は川の中州(なかす)や湿地(しっち)に浮かぶ島、鳥山(とりやま)は水田の間に少しばかりの陸地が島のようにある地形から島の旧字「嶋」を分解したもの、吉田(よしだ)は葦(よし)の生い茂る場所という意味だといわれています。小字(こあざ)にも、谷、谷戸、根、根方、沼、窪などの字がつく地名が多数あります。これらの地名は、区内に低湿地が多いことを示しています。
これとは逆に、大曽根(おおそね)の「曽根」は山や丘陵(きゅうりょう)が突き出したところ、新羽(にっぱ)は山の端、太尾(ふとお)は動物の太い尻尾(しっぽ)が突き出したように見える山の形、箕輪(みのわ)は箕(みの)のように丸く突き出した丘陵、師岡(もろおか)は丘の並んだ地形を表しています。
このように、港北区の土地は、河川流域の低湿地と多摩丘陵(たまきゅうりょう)に連なっていく丘陵部からなっています。現在では立派な堤防も出来て洪水の心配はほとんど無くなりましたので、私たちには想像もつきませんが、かつては水と戦う日々でした。
昔の人たちは土を踏みしめ、田畑を耕し、自然からの恩恵を受けて生活していましたから土地に愛着がありました。地名を見ると人々と土地との関わりがよく分かります。
では、このような土地で昔の人々はどのように暮らしていたのでしょうか。次回はそのことを考えてみます。

(1999年6月号)

付記1 「樽(たる)」には、上記で紹介した以外にも、師岡熊野神社(もろおかくまのじんじゃ)の神領(しんりょう)として御神酒(おみき)の樽を作って奉納していたという説と、鶴見川が氾濫(はんらん)したとき水がなかなか引かず樽に溜まった水のようであったという説もあります。