港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北)

第98回 大綱村の旧跡 -『大綱村郷土誌』より-


前回紹介した『大綱村郷土誌(おおつなむらきょうどし)』は、村内の小学校長4名が共同で編纂したもので、大正2年(1913年)8月31日付けの「編纂の辞」が付いてます。原本はガリ版刷りですが、横浜市港北図書館・港北古文書を読む会編『皇国地誌 横浜市港北区』(横浜市港北図書館、1984年)に活字化されていますし、横浜市港北図書館・港北古文書を読む会編『神奈川県橘樹郡案内記(かながわけんたちばなぐんあんないき)』(横浜市港北図書館、1987年)の大綱村の項にもほぼ同文が収められています。
『大綱村郷土誌』によると、村内の名所は、前回紹介した熊野台(くまのだい)だけですが、旧跡(きゅうせき)は下記の7か所が掲げられています。ちなみに、「旧跡(旧蹟)」とは、歴史的な事件や物事のあった場所のことで、史跡(史蹟)や遺跡(遺蹟)と同類の言葉です。

①綱島十八騎の采地(つなしまじゅぅはっきのさいち)
②高麗雉子放養地(こうらいきじほうようち)
③武田谷(たけだやと)
④殿谷ノ塁蹟(とのやとのるいせき)
⑤伊藤屋敷(いとうやしき)
⑥小幡泰久屋敷跡(おばたやすひさやしきあと)
⑦金子ノ城跡(かねこのじょうせき)

①綱島十八騎の采地は、綱島台の辺りと思われます。采地(さいち)とは、知行地(ちぎょうち、領地)のことです。天正18年(1590年)に小田原北条氏を滅ぼした徳川家康は、江戸に入り、家臣へ知行地を与えて江戸周辺に配置しました。近藤五郎右衛門正次(こんどうごろうえもんまさつぐ)は、300石の知行地を綱島の地に拝領したといわれています。近藤正次は、綱島十八騎と呼ばれた武士たちの頭(かしら)で、文禄元年(ぶんろくがんねん、1592年)に綱島台の長福寺(ちょうふくじ)を開基(かいき)したとも伝えられています。
②高麗雉子放養地は、綱島公園の辺りです。幕府は、享保の頃(1716~36年)に、朝鮮国王から献上された高麗雉子を放養し、村民に見張り番をさせたと伝えられています。それほど豊かな自然があったわけです。
③武田谷は、大倉山駅の北側です(第71回参照)。武田弾正(たけだだんじょう)という者が住んでいたと伝えられています。吉川英男さんは、武田弾正とは武田勝頼(たけだかつより)の子「周哲大童子(しゅうてつだいどうじ)」ではないかという説を立てられています。
④殿谷ノ塁蹟は、大曽根台の殿谷戸(とのやと)にありました。小机城の二代目城主笠原康勝(かさはらやすかつ)が、明応9年(めいおうくねん、1500年)に弟平六義為(へいろくよしため)に命じて、出城(でじろ)として大曽根に築かせた砦(とりで)の土塁(どるい)の跡といわれています。義為の子孫はこの地に土着し、冨川(ふかわ)と改称しました。冨川家には、「殿谷の塁跡」の碑が建てられています。
⑤伊藤屋敷は、伊豆の住人だった伊藤藤七(いとうとうしち)の屋敷跡で、大曽根台の殿谷戸にありました。藤七は小机城代笠原平左衛門照重(かさはらへいざえもんてるしげ、郷土史に「平右衛門」とあるのは誤り)と親しく、照重が伊豆で戦死した後に、この地に居住し照重の遺児(いじ)弥次兵衛重政(やじべえしげまさ)を養育したといいます。成長した重政は、天正18年、神奈川宿において上洛途上の徳川家康に引見し、新知200石を都筑郡台村(つづきぐんだいむら、緑区台村町)に賜ったと伝えられています。
⑥小幡泰久屋敷跡は、大豆戸(まめど)の八王子社(はちおうじしゃ)の西側と記されています。八王子社は、昭和34年(1959年)に町内の杉山神社を吸収合併して、八杉神社(やすぎじんじゃ)と改称しました。小幡伊賀守泰久(おばたいがのかみやすひさ)は小田原北条氏の家人(けにん)で、永禄年間(えいろくねんかん、1558~70年)に、大豆戸町の安山(やすやま)へ本乗寺(ほんじょうじ)を創建した人物です。小幡家の墓は今も本乗寺の墓地にありますが、泰久の墓は江戸時代後期にはすでに墓石が無くなり、所在不明になっていました。
⑦金子ノ城跡は、篠原町(しのはらちょう)の端、横浜線の北側で大豆戸町との境にあり、篠原城跡ともいいます。金子十郎家忠(かねこじゅうろういえただ)の城跡ともその子孫の城跡ともいわれています。金子家忠は、『大綱村郷土誌』では鎌倉時代の人と記されていますが、小田原北条氏時代の人のようです。金子城(篠原城)については、最近、伊藤慎仁氏が詳細な研究を発表されています。
これらの旧跡は、いずれも江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』に記載されているものばかりですし、説明文も風土記稿と同様の文章が多く見受けられます。旧跡といっても、それらしい跡が残っているのは⑦金子城跡くらいなもので、他は何も残っていません。しかし、現地に立ち瞳(ひとみ)を閉じて空想の羽を広げると、往時の様子が思い浮かびます。

(2007年2月号)