『楽・遊・学』平成22年6月号原稿

シリーズ わがまち港北

第138回 歌を通じて郷土愛

 

菊名北町(きくなきたまち)町内会発行の『菊名新聞』は、平成5年(1993年)に齋藤松太郎さんが会長に就任した時、大崎春哉さんを編集長として創刊された新聞です。今年4月に第64号を発行しました。しかし、2月に齋藤会長の逝去、4月には大崎編集長が四国松山へ転居と予想外の出来事が続き、一時は存続が危ぶまれましたが、先日続刊が決まりました。エールを贈ります。その『菊名新聞』のルーツともいえる『大綱時報』(おおつなじほう)を第93回で紹介しましたが、大綱時報社の社長として、大正10年(1921年)に新聞を創刊した飯田助夫(いいだすけお)(1878~1961年)が没後50年を迎えることから、今年2月18日に「飯田助夫を語る会」が催されました。その案内状には、飯田助夫は「明治11年綱島に生まれ、大綱村々長、神奈川県会議員、横浜市会議員、衆議院議員等を歴任する一方、鶴見川の改修促進や地域の産業・文化振興などに生涯を捧げ、多方面にわたる数々の業績を残しました」と記されています。飯田助夫氏は政治家として語られることが多いのですが、筆者は歌人としての助夫氏に注目しています。助夫氏は、数多くの俳句を残していますが、綱島小唄(つなしまこうた)の作詞者としても知られています。

綱島よいとこ 花咲く春は 土手の桜に 桃畠(ももばたけ)
全4番の歌詞で綱島の四季を歌っていますが、紹介した1番では、鶴見川の土手(大正堤(たいしょうづつみ)、第76回参照)の上に連なる桜並木と、名物の桃畠(第15回、30回参照)を歌い込んでいます。関東大震災から復興しつつある昭和前期に作られた歌でしょうか、地域振興の願いが込められているようです。
同じ頃、栗原白也作詞の綱島音頭(おんど)も作られています。
ハアー 桃は畠に 桜は土手に お湯の綱島 お湯の綱島 花吹雪
現在、地域の祭りや運動会などで使われている綱島音頭は、戦後の昭和26・27年(1951・52年)頃に作られた同名の別の曲です。
ハアー 綱島音頭で輪になっておどれ 広く世間を渡るよに…
新羽(にっぱ)には、昭和30年(1955年)の亀甲橋(かめのこばし)完成を記念して作られた「新羽音頭」があります。野路当作作詞・松井健祐作曲です。「汗のダイヤでネ 仕事着かざりヨ あの娘(こ)水仙 わしゃチューリップ 男みょうがで 男みょうがで 割る西瓜(すいか)」などと野菜や花卉(かき)栽培が盛んな様子が歌われています。しかし、踊るのが難しいので、平成16年(2004年)に中山宏作詞・うすいてつお作曲の「大新羽音頭」(だいにっぱおんど)が作られ、祭りでは現在こちらが使われています。野路・松井のコンビは、新田小学校(にったしょうがっこう)の校歌も作っており、「わかあゆ のぼる つるみ川」の歌詞がすてきです。
このように、地域の名所旧跡を歌い込んだ歌は、地域住民の連帯感を高める効用があることから、数多く作られてきました。昭和53年(1978年)の港北区民まつり並びに新総合庁舎(第124回参照)落成祝賀事業として、翌昭和54年に「港北の歌」2曲が完成しました。選考作成委員会の冨川正雄会長は、歌詞カードに「歌を通じてわが郷土「港北」をよりよく知り、郷土愛を育(はぐく)んでいただけることを切望します」と記しています。レコードA面の井筒良子作詞「港北音頭」には、大倉山の白梅(しらうめ)、鶴見川から小机城址(こづくえじょうし)、白い湯煙の綱島、新幹線の停車などが歌われています。B面鳥羽和一作詞「港北の空と丘」では、「太古(たいこ)の姿そのままに 遺跡の丘で眼にふれる 土器のかけらのいとおしさ」とか、「ヒイラギ ヌルデ ムクロ樹の 緑の深い谷戸(やと)つづき」と昔ながらの豊かな自然が歌われています。この歌は、当時大人気だったフォークデュオ「ダ・カーポ」が吹き込んだものです。
しかし、現在この歌はあまり広まっていません。そこで、港北区合唱指揮者協会主催により、新しい港北区の歌が作られつつあります。3月に締め切られた歌詞の募集には28点の応募がありました。11月7日の完成が楽しみです。
地域を歌った歌としては、小学校の校歌が最も思い出深いものでしょう。それについては、次回に。

 

記:平井 誠二(大倉精神文化研究所研究部長)

 

 

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