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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第122回 いつまでも楽しく遊びながら

2009.02.01

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北2』(『わがまち港北』出版グループ、2014年4月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


団塊の世代の一斉退職は「2007年問題」といわれ、当初は経済問題として話題になりました。団塊の世代の大量退職は現在も続いており、実は経済問題よりも、退職した人々がいかに充実した第2の人生を送ることができるか、その心の問題こそが重要な課題であることが分かってきました。そうした中で、「地域デビュー」という流行語が生まれました。ある試算によると、一人の人が学校卒業から定年退職まで職場で働いた総労働時間と、退職してから平均余命までの総自由時間とはほほ同じなのだそうです。この厖大な時間を有意義に過ごす方法の1つに、公共施設を利用した活動への参加があります。港北区内の公共の施設としては、地区センター6か所、コミュニティハウス5か所、港北公会堂、港北スポーツセンター、小机スポーツ会館、老人福祉センター、老人憩いの家、国際交流ラウンジなど多数あります。大倉山記念館(元は大倉精神文化研究所本館)もその1つです。

大倉精神文化研究所を創設した大倉邦彦は、一般市民の日常生活の向上充実に役立たない学問は「畳の上の水練(水泳の練習)」のようなものだとして批判し、学問研究の成果を人々の日常生活に役立てることを目的として研究所を設立しました。その研究所本館が現在では大倉山記念館となり(第74回参照)、港北の文化の中心として生涯学習や地域活動に使われています。大倉邦彦の念願は、形を変えて今でも記念館の中に息づいているのです。

さて、本紙『楽・遊・学』を発行している港北区生涯学習支援センターは、3月18日より「港北区区民活動支援センター」へと衣替えし業務を拡充するそうです。そこで、少し調べてみました。生涯学習とは、各自が自分の自由な意志に基づいて、自分にあった方法で生涯にわたって学習していくことです。学習と聞くと、子供が学校などで勉強することを思い浮かべますが、それだけが学習ではありません。広義には、生まれた後に経験を通じて知識や行動などを身につけていくことであり、何でも新しいことを見聞きし体験することは全て学習です。年齢は関係ありません。この生涯学習という考え方は昔からありましたが、政策として注目されるようになったのは1980年代以降です。横浜市でも昭和63年(1988年)に横浜市生涯学習基本構想を策定し、平成6年(1994年)より各区で生涯学習支援センター事業を始めました。港北区生涯学習支援センターは、同年11月8日にオープンしました。磯子区・栄区の支援センターと共に市内で最初に設置された3か所の内の1つです。生涯学習支援センターは順次増加していき、市内全区への整備が完了したのは平成12年(2000年)3月のことでした。

一方、市民活動の支援はそれより遅く、横浜市市民活動支援センターが設置されたのは平成12年(2000年)、各区へ区民活動支援センターを設置し生涯学習支援センターなど類似事業との複合化につとめるという方針が示されたのは平成15年(2003年)のことです。翌年神奈川区から整備が始まり、今年3月の磯子区・港北区・戸塚区・西区の整備により全区で実施されることになります。

支援センターの名称が変わっても『楽・遊・学』は引き続き発行され、この連載も続くとのことです。来月以降もよろしくお願いいたします。ところで、『楽・遊・学(らく・ゆう・がく)』とは、ちょっと変わったタイトルで、すんなり読めた人は少ないでしょう。筆者も最初は戸惑いました。実はこのタイトル、「楽しく、遊びながら、学びましょう」というメッセージを縮めたもので、支援センターはそのお手伝いをしますよ、という意味が込められています。区民活動も、自分自身が楽しみながら、そして遊び心や好奇心を持ってというのが長続きの秘訣でしょう。平成7年(1995年)4月の『楽・遊・学』第1号には、「春です さあ一緒に 楽・遊・学」の文字が躍っています。この精神は今も変わりません。充実して生まれ変わる支援センターを活用して楽しみましょう。

記:平井 誠二(大倉精神文化研究所専任研究員)

(2009年2月号)

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