第136回 12年に一度の霊場巡り -その5-
- 2010.04.01
文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北2』(『わがまち港北』出版グループ、2014年4月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。
薬師霊場は、12ヵ寺が集まって「十二薬師」としているところが多くあります。12の数は、薬師如来(やくしにょらい)がまだ菩薩(ぼさつ)として悟りを求めて修行をしていた時に、人々を救うために12の誓いを立てたことや、薬師如来を12神将が守護していることに由来していると思われます。
都筑橘樹(つづきたちばな)十二薬師霊場
今年のご開帳は、4月1日(木)~20日(火)の9時~17時です。都筑橘樹十二薬師の始まりは、江戸時代の中頃と思われます。港北区域は、横浜市に編入される前は、都筑郡と橘樹郡にまたがった地域でした(第11回参照)。この地域の、具体的には鶴見川・早渕川(はやぶちがわ)周辺の寺が集まって作られた霊場です。港北区内には5ヵ寺があります。
1番札所 蓮華寺(れんげじ) (真言宗)
新羽町の新照山蓮華寺は、『新編武蔵風土記稿』によると、開山は朝誉(ちょうよ)といい、永禄(えいろく)年中(1558~70年)の人と伝えられていますが、火災により詳しいことは分からなくなっていると記されています。薬師堂は境内の左手にあります。恵心(えしん)作と伝えられる薬師如来立像は、高さ8寸(約24センチ)程です。
2番札所 神隠堂(かみかくしどう)
新吉田町の神隠堂は、町内にある浄流寺(じょうりゅうじ)の飛び地境内でしたが、現在では浄流寺に統合され、跡地は住宅地になっています。ご開帳は、薬師如来が安置されている浄流寺本堂で行われます。神隠堂は神隠地蔵堂ともいい、酉年(とりどし)地蔵の霊場でもありますので、詳しくは、地蔵のご開帳がある7年後に改めて紹介します。
3番札所 正福寺(しょうふくじ) (天台宗)
新吉田町の星宿山千手院正福寺は、子年観音でも紹介しました(第114回参照)。日吉本町の金蔵寺(こんぞうじ)末と伝えられていますが、度々の火災で開山・開基など詳細は不明です。第2世住職秀覚が寛永(かんえい)元年(1624年)に没したといわれることから、江戸時代初期に開かれたようです。本堂は平成18年(2006年)に再建されたものです。
11番札所 東照寺(とうしょうじ) (曹洞宗)
御詠歌 いまぞ知る 仏の深き 誓(ちか)ひにて おなじ光の 瑠璃(るり)の身とこそ
綱島西の綱島山東照寺は、横浜七福神の布袋様(ほていさま)を祀(まつ)る寺として紹介しました(第48回参照)。本堂は、平成19年(2007年)に耐震補強と嵩(かさ)上げをして、階下に控え室が増築されました。本尊の薬師如来坐像は、行基(ぎょうき)作と伝えられている秘仏で、普段は厨子(ずし)の中に納められています。
12番札所 大乗寺(だいじょうじ) (曹洞宗)
大曽根台の転法輪山箕谷峰院(てんぽうりんざんそやほういん)大乗寺は、天正4年(1576年)に東鐵(とうてつ)大和尚が創建したと伝えられています。詳しい由緒は、寺誌『大乗禅寺』に記されています。東鐵は後に東照寺も創建しています。本堂は、昭和20年(1945年)の空襲で焼失し、昭和25年に再建されたものです。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)坐像、薬師如来坐像は脇本尊です。
武南(ぶなん)十二薬師霊場
ご開帳は、4月1日(木)~30日(金)の9時~17時です。港北区内には、1番札所の貴雲寺(きうんじ)(岸根町)、7番札所の金剛寺(こんごうじ)(小机町)、8番札所の長福寺(ちょうふくじ)(篠原町)があります。紙面が尽きましたので、次回に紹介いたします。
記:平井 誠二(大倉精神文化研究所専任研究員)
(2010年4月号)