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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第175回 「大倉山さんぽみち」を歩いてみよう!―その2・新横浜駅~鶴見川―

2013.07.01

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北2』(『わがまち港北』出版グループ、2014年4月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


大倉山さんぽみちの続きです。前々回、「大倉山駅~鶴見川」ルートのゴールを目前にして、地図とにらめっこしつつ辺りを右往左往することになったと書きました。まずは、この話から述べていきましょう。

「大倉山駅~鶴見川」のルートは、「新横浜駅~鶴見川」のルートに突き当たっており、その接点の位置を、平成元年発行の『大倉山さんぽみち探検手帳』の全体地図で確認すると、太尾下町(しもちょう)子供の遊び場付近でした。筆者はこの接点を目指して歩いてきたのですが、遊び場の周辺を何度往復しても、「新横浜駅~鶴見川」ルートと思われる道が見当たりません。けれども、全体地図を見返すうちに、その道が「整備予定」と記されていることに目が留まり、状況が飲み込めました。筆者は、さんぽみち誕生から25年も過ぎているので、道は整備されていると思い込んでいましたが、途中までしか整備されていなかったのです。

そして、さんぽみちのルートは後に変更されたようです。先日、篠原町(しのはらちょう)の臼井義幸さんから、平成6年発行の『港北区ウォーキングマップ』に、大倉山さんぽみちが紹介されていると伺い、見せて頂きました。マップには確かにさんぽみちの地図やサインの説明があったのですが、この地図では、探検手帳の地図で整備予定だった道が、現状に即した道に変えられていました。しかし、2つのルートは当初の計画と違う形ではあるものの、つながっていますので、今回は引き続いて「新横浜駅~鶴見川」ルートを歩いていきましょう。

総合案内板によると、このルートの主な見どころは①新横浜駅前公園②太尾堤緑道③太尾公園④馬頭観音(ばとうかんのん)・水神社(すいじんしゃ)です。なお、ルートの中で、新横浜駅から新横浜駅前公園までの道は「新横浜駅~菊名駅」ルートと重複していますので、今回はそこを省略して、太尾下町子供の遊び場から、鶴見川の土手と太尾堤緑道をぐるっと回るように歩いていきます。

では出発です。ちなみに、遊び場の辺りには昔、鶴見川の舟運(しゅううん)で荷物の積み降ろしを行った太尾河岸(ふとおがし)がありました。今年3月には鶴見川舟運復活プロジェクトがその歴史を今に伝える河岸跡の碑を建てました。真新しい石碑に古(いにしえ)をしの偲びつつ鶴見川へ向かいます。

鶴見川の土手に出たら、新横浜駅方面に歩いていきます。新羽橋、港北高校を過ぎると、太尾公園の入口に総合案内板を発見。そこには太尾公園、太尾堤緑道、下水処理場(平成17年に「港北水再生センター」へ改称)の説明が書かれています。太尾公園は、さんぽみちの整備と同じ平成元年に、センター内の下水処理施設の屋上に造られた人工の公園ですが、自然あり、広場あり、テニスコートありで、建物の上とはとても思えません。さらに現在は、新横浜寄りの処理施設の屋上に平成11年に造られた太尾南公園もあります。なお、水再生センターは平成24年で稼働40周年を迎え、今年3月には鶴見川側フェンス沿いの桜並木に新たに横浜緋桜を記念植樹しました。いずれその花も道行く人の目を楽しませてくれることでしょう。

川沿いを進みながら、対岸の新羽車両基地の重厚感に圧倒されていると、正面に資源循環局の風力発電用風車が見えてきます。そして水再生センターと循環局の境で説明板を発見。道はこの場所で新横浜駅方面と太尾堤緑道方面に別れますが、そのまま川沿いをもう少しだけ進むと、新横浜駅前公園に着きます。その先から新横浜駅までは「新横浜駅~菊名駅」のルートと重なりますので、今回はここで引き返して、太尾堤緑道へ向かいます。

太尾堤緑道は、太尾堤排水路(旧鳥山川)を埋め立てて整備した緑道です。緑道には鷹や水鳥の装飾がついた3つのゲートがあり、この付近が徳川将軍家の鷹狩り用の鷹の調教などを行う「捉飼場(とりかいば)」であったという歴史を伝えています。また、見どころにも挙げられた馬頭観音と水神社はこの緑道の中程(なかほど)で往時の姿を留めます。その向かいには説明板も。さらに緑道の各所には、平成元年に行われた第1回横浜彫刻展の受賞作品が置かれています。当初から緑道への設置を目的に作られた作品は、どれも個性的でユニークですが、筆者は太尾小学校前にある彫刻がお気に入りです。

さて、横浜太尾郵便局より先へ進むと、緑道は住宅地の生活道路兼公園といった趣に変わります。その先で車道に接すると、そこにはかつて緑道が川だったことを物語る「太尾上橋(ふとおかみはし)」の欄干(らんかん)が。道を渡ってさらに進むと、また車道にぶつかります。当初の計画ではこの車道を渡った先に道が整備され、鶴見川の土手まで行くことが出来たはずですが、今もその先へ進むことは出来ません。何だか中途半端ではありますが、ひとまず今回はここまでです。サインは総合案内板2つ、説明板が3つの計5つでした。道標はありませんでしたが、もしかしたら見落しているかも知れません。

次は、今回省略した新横浜駅周辺の道を含む「新横浜駅~菊名駅」のルートを歩きたいと思います。

記:林 宏美(大倉精神文化研究所職員)

(2013年7月号)

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