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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第194回 篠原地区 -地域の成り立ち、その5-

2015.02.01

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


篠原(しのはら)地区は、港北区の最も南部に位置し神奈川区と接しています。地区の東部には東急東横線が、北部にはJR横浜線が通っています。地下に目を向けると、西部に市営地下鉄ブルーライン、南部には東海道貨物線も通っています。

現在の篠原地区は、菊名(一~三丁目)・篠原町(ちょう)・篠原東(一~三丁目)・富士塚(一・二丁目)・仲手原(なかてはら、一・二丁目)・篠原台町(だいまち)・篠原西町(にしちょう)から成り立っていますが、菊名を除く各町はかつて橘樹郡(たちばなぐん)篠原村だった地域です。昭和2年に(1927年)に横浜市へ編入され篠原町となり、昭和45・46年(1970・71年)に港北区域としては最初に住居表示が実施されて、多くの町に分かれました。

篠原の地名の由来については、土地の植生や地形から、篠竹(しのだけ、根笹[ねざさ]の仲間)が群生する地であったとか、「しの」は湿地を指す、あるいは「しな(浅い皿状の盆地)」が「しの」に変化したなどの説があります。また、源平の合戦で加賀国(かがのくに)篠原(現石川県加賀市)から落武者が移住したとする説(第61回参照)もあります。富士塚の地名は、昔本当に富士塚があったから名付けられたものです。仲手原はダイダラ坊伝説(第57回参照)から生まれた地名と言われています。

ちなみに、妙蓮寺(みょうれんじ)は、地名ではありません。もともと寺の名前であり、後に駅の名前にもなりました。妙蓮寺がある場所には、江戸時代初期から浄寿山蓮光寺(じょうじゅさんれんこうじ)という日蓮宗の寺がありましたが、檀家が少なく経営難に陥っていました。そこへ、神奈川町(現神奈川区)の妙泉寺(みょうせんじ)が明治41年(1908年)に移転・合併し、両寺の名前から1字ずつ取って妙蓮寺としました。その後、境内地に東横線が通り、大正15年(1926年)に妙蓮寺前駅が開業します。「前」の字が取れて現在の駅名になったのは、昭和6年(1931年)1月1日のことです。昭和11年には、歌人の斎藤茂吉(もきち)が、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の咲き誇る郊外の風景を求めて妙蓮寺駅に降り立ったこともあります。

農村地帯だった港北区域は、東横線の駅前から市街化が進みますが、妙蓮寺駅周辺は、港北区域で最も早くから高級住宅地として開発された地域です。開発は菊名池周辺から始まり、篠原八幡神社が鎮座する八幡山の上に向かって宅地化されていきました。現在でも丘陵地には閑静な住宅地が広がっています。そうした経緯を踏まえて、地域の大半が第1種低層住宅専用地域となっています。住民の高齢化率が比較的高く、土地に愛着を持って長く住み続けている方が多いようです。ただし、起伏に富んだ地形と、早くから開発が進んだことから、曲がりくねった狭い道路が多いことが特徴で、道路整備や防災対策、高齢者福祉などが求められています。また、新横浜駅南側の新横浜都心地域は、未だに土地利用方針が検討中であり、下水道など都市基盤整備の遅れが課題となっています。

東横線が開通した1920年代(大正から昭和初期)頃、全国で、和風住宅の玄関脇に小さな洋館(洋間・洋室)がついた建物を建築することが流行(はや)りました。これを洋館付き住宅といい、港北区域では、妙蓮寺駅から菊名駅にかけての地域に、洋館付き住宅が数多く建てられました。現存する建物もあり、港北オープンヘリテイジで見学された方も多いかと思います。

『横浜文化名鑑』(横浜市教育委員会、1953年)の「文化関係者名簿」を見ると、港北区(現在の緑・青葉・都筑区を含む)在住者は66人ですが、その内のなんと42%に当たる28人が篠原町に住んでいました。たとえば、武相学園(ぶそうがくえん)を創立した石野瑛(あきら)(1889~1962年)もその1人です。石野は、考古学者・歴史学者として数多くの著作を残しましたが、その一方で教育者として青少年教育に尽力し、篠原町に旧制武相中学校を創立しました。現在は中高一貫教育の学校法人武相学園となっています。石野自身も篠原町に住んでいました。

関東大震災の後、横浜や東京の市街地からは、文化関係者だけでなく、政界・財界・官界の有力者や著名人も数多く移り住みました。こうした人達が、当時最先端の洋館付き住宅を建設したのです。

戦後、改正選挙法が公布され婦人参政権が認められました。その最初の統一地方選挙で、横浜市にも初の女性市議会議員が2人誕生しました。その内の1人が篠原町(現富士塚)在住の石橋志(し)うです。横浜市史資料室が発行した写真集『昭和の横浜』には、妙蓮寺駅前でマイク片手に選挙演説をしている石橋志うの写真が掲載されています。私のお気に入りの一枚です。石橋志う(1893~1977年)は元女医で、昭和22年(1947年)から市議を4期務めますが、戦争未亡人や母子家庭などへの社会福祉に長年貢献し、第22回横浜文化賞(1978年)を受賞しています。

記:平井 誠二(公益財団法人大倉精神文化研究所研究部長)

(2015年2月号)

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