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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第197回 城郷地区 -地域の成り立ち、その6-

2015.05.01

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


城郷(しろさと)地区は港北区の南西部に位置し、神奈川区・緑区・都筑区と接しています。

現在の城郷地区は、小机町(こづくえちょう)、鳥山町(とりやまちょう)、岸根町(きしねちょう)から成り立っています。かつては橘樹郡(たちばなぐん)小机村、鳥山村、岸根村と呼ばれていた地域です。明治22年(1889年)の市町村制施行に伴い、この3か村に、下菅田(しもすげた)・羽沢(はざわ)・三枚橋(さんまいばし)・片倉(かたくら)・六角橋(ろっかくばし)・神大寺(かんだいじ)の6か村が加わり、新しい行政区域として小机村を名乗りましたが、小机以外の村々から異論があり、明治25年(1892年)に城郷村と改称しました。城郷村は昭和2年(1927年)に横浜市へ編入され、神奈川区の一部となりましたが、昭和14年(1939年)に港北区が誕生するとき、小机・鳥山・岸根の3町だけが港北区に分けられました。しかし、今でも神奈川区域と深いつながりがある地区です。

地区の北部には広大な新横浜公園があり、鶴見川に接しています。新横浜公園は、鶴見川の氾濫を防ぐための遊水地に作られた公園です。遊水地としては平成15年(2003年)から運用を開始し、これまでに鶴見川の水を15回も流入させて、下流の水位を下げています。公園としては今年3月でほぼ整備が終わりました。公園内にある日産スタジアムは、国内最大の72,327席を有し、サッカーのみならず大規模な各種イベントが開催されています。国際的にも、平成14年(2002年)FIFAワールドカップの決勝戦会場になりましたし、2020年の東京オリンピック会場にも予定されるなど注目されています。

地区の中央部には東西に横浜線が走り、小机駅があります。3月に発表された「横浜市都市計画マスタープラン 港北区プラン」では、小机駅から新横浜公園や日産スタジアムへの歩行者動線の確保や、周辺環境の基盤整備が課題とされています。

横浜線の南側は丘陵地帯で、南東の端にあるのが岸根公園(第152回参照)です。

小机の地名は、城山(しろやま)(小机城址(じょうし)のある丘)が丘陵部から鶴見川へ向けて机のように張り出していることから名付けられたといわれています。

鳥山は、水田の間に陸地が島のようにある地形から、島の旧字「嶋」を分解したとする説や、鎌倉時代初期にこの地を領有していた佐々木高綱(たかつな)が目代(もくだい)(役人)として鳥山左衛門(とりやまさえもん)を置いたことから名付けられたとする説があります。

岸根の地名は、かつてこの辺り一帯には沼が広がっており、そのに沿った(丘陵の裾野)であることから名付けられたといわれています。

歴史の古い地区で、『吾妻鏡(あづまかがみ)』の延応(えんおう)元年(1239年)2月14日条には、佐々木泰綱(やすつな)へ「小机郷(ごう)鳥山等」の荒れ地の水田開発を命じた記事があります。小机城の築城は鎌倉期とも室町期ともいわれています。文明10年(1478年)には矢野兵庫助(やのひょうごのすけ)が立て籠もる小机城を太田道灌(おおたどうかん)が攻め落としています。戦国期には小田原北条氏の重要な出城でしたが、北条氏の滅亡により廃城となりました。しかし、小机は江戸時代も栄えており、江戸後期の狂歌師・戯作者(げさくしゃ)として有名な大田南畝(おおたなんぽ)が訪れていますし、泉谷寺(せんこくじ)には浮世絵師初代安藤広重(ひろしげ)が滞在し、杉戸絵を描き残しています。

このように歴史の古い地区ですから、鎌倉道に架かる岸根の琵琶橋(びわばし)を源頼朝(みなもとのよりとも)が渡った話とか、貧しい村人を助けた三会寺(さんねじ)の鼻取観音(はなとりかんのん)、どこからともなく飛んできて佐々木高綱の守り本尊となったお地蔵さま(将軍地蔵)、雲松院(雲松院)の龍蛇塚(りゅうじゃづか)など、伝説や昔話も数多く残されています。ちょっと余談ですが、区内の昔話や伝説を題材にした紙芝居を作る、港北区生涯学級「紙芝居で地域の魅力を発信」が昨年から始まっています。子供たちに地域の文化を楽しく伝える試みとして注目されます。

閑話休題、この辺りは、民謡「岸根情緒」で「三隅耕地(みすみこうち)に稲穂(いなほ)はおもく」と謳(うた)われた穀倉地帯でしたが、東海道新幹線の敷設(ふせつ)、第三京浜道路や横浜上麻生線道路の整備などにより、昭和40年代より宅地化が進み、大きく変貌していきました。明治5年(1872年)に252戸、1,384人だった人口は、今年3月末現在で11,039世帯、23,747人となっています。

地区を流れる鶴見川・鳥山川・砂田川(すなだがわ)には緑道や親水公園があり、付近を散策する方が多く、丘陵部には比較的まとまった樹林地も残されています。小机城址市民の森、新横浜公園、岸根公園といった広い公園もあります。そのためでしょうか、住み続ける理由として、緑が多いことや、子育てや教育環境の良さをあげる住民が多く、0歳から14歳までの年少人口の比率が区平均より高いのが特徴です。

記:平井 誠二(公益財団法人大倉精神文化研究所研究部長)

(2015年5月号)

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