閉じる

大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第199回 新吉田・新吉田あすなろ地区 -地域の成り立ち、その7-

2015.07.01

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


新吉田(しんよしだ)・新吉田あすなろ地区は港北区の北西部に位置し、東南から北にかけては鶴見川・早渕川(はやぶちがわ)に面しています。南は新羽町(にっぱちょう)に接し、西は第三京浜道路の辺りで都筑区(つづきく)に接しています。

新吉田地区と新吉田あすなろ地区が2つに分かれてから、今年でちょうど25周年になります。2つを合わせた地域は、新吉田町の範囲とほぼ一致します。そこで、ここでは両地区をまとめてお話しします。

新吉田町は、古くは武蔵国都筑郡(むさしのくにつづきぐん、明治以降は神奈川県都筑郡)吉田村と呼ばれていました。明治22年(1889年)吉田村は新羽村(にっぱむら)・高田村(たかたむら)と合併して新田村(にったむら)となり、新田村大字(おおあざ)吉田と呼ばれました。横浜市に編入された昭和14年(1939年)に新羽・高田と分かれて、新吉田町(しんよしだちょう)となりました。「新」が付けられたのは、横浜市中区にすでに吉田町があったからです。

明治2年(1869年)の吉田村は戸数174戸、人口は995人でした。戦後の高度経済成長期に地区の東部は農地から住宅地への転換が進み、南部には工場が進出しました。平成7年(1995年)の第三京浜道路都筑インターチェンジの完成、平成20年(2008年)3月の市営地下鉄グリーンラインの開通などで交通アクセスが向上したことにより、人口が急速に増加し、今年5月末現在で12,621世帯、28,304人となっています。

こうした状況を受けて、地区の東半分は平成15年から17年(2003~05年)にかけて住居表示が実施され、新吉田東一~八丁目となりました。

宮内(みやうち)新横浜線道路は、平成14年(2002年)に新吉田南交差点以南が開通しました。その沿道で人口増加が続いていますので、宮内新横浜線道路の全線開通や、新吉田線道路の開通などが実現すると人口がさらに増加する可能性があります。

地区の東側は平地で第1種低層住居専用地域が多く、地区の西側は丘陵地帯で大半が市街化調整区域になっています。そのためでしょうか? 持家率が区内一高く、借家や集合住宅は少なく、高齢者の人口比率が比較的高い地区です。平成24年度港北区区民意識調査報告書によると、交通や買い物の利便性を指摘する割合は低くても、住んでいる場所に愛着を感じている人が多いという特徴が見られます。

港北区内でもまとまった緑地が多く残されている地域ですので、今後も緑地を保全し、起伏に富んだ地形や豊かな自然環境を生かしたまちづくりを進めていくことが求められています。

新吉田・新吉田あすなろ地区は、長い歴史と豊かな伝説に彩られた地域でもあります。

昔は武蔵国都筑郡吉田村と呼ばれていたと書きましたが、この辺りには、武蔵国の都筑・橘樹(たちばな)・久良岐(くらき)の3 郡の内で唯一式内社(しきないしゃ、第51回参照)に列し、平安時代の京都で名前が知られていた神社が1社ありました。杉山神社です。杉山神社は後年数多くに分社されたため、どれが元の式内社か分からなくなりましたが、新吉田の杉山神社はその有力候補の1つとされており、杉山神社がある辺りを字(あざ)杉山といいます。

字杉山の北側、新吉田第二小学校周辺地域を字御霊(ごりょう)といいます。鎌倉権五郎景政(ごんごろうかげまさ)が16歳で後三年の役(ごさんねんのえき、1083~87年)に出陣し、片目を射られて帰参する途中で亡くなったとされる場所です。建武(けんむ)3年(1336年)に景政を祀る御霊堂(ごりょうどう)が立てられたことから、やがて地名となりました。

字宮之原(みやのはら)は、元弘(げんこう)3年(1333年)鎌倉攻めの途上、旱魃(かんばつ)に苦しんだ新田義貞(にったよしさだ)が雨乞いをした若雷神社(わからいじんじゃ)が鎮座する台地です。吉田村は、その当時は葦田(よしだ)村と書いていましたが、「葦(よし)」の字は「あし」とも読み「悪し」に通じます。そこで、新田義貞が、「葦(よし)」ではなく「吉(よし)」だと言って、以来「吉」の字を書くようになったとの伝説があります。

都筑インターの南側を字神隠(かみかくし)といいます。神隠の由来には諸説ありますが、お姫様がさらわれたとか、大きな館の住人の死を「神がお隠れになった」と表現したとか、武田信玄(しんげん)の家臣山本勘助(かんすけ)が守り本尊を隠した場所ともいわれています。

キレイに整備された倉部谷戸(くらべやと)遊歩道、一見ごく普通の公園のようですが、実は暗渠(あんきょ)になった百目鬼堀(どうみきぼり)が流れています。百目鬼とは何でしょう?獅子ヶ鼻(ししがはな)、雪見塚、御所ヶ谷(ごしょがやと)、裏土腐(うらどぶ)、具々田(ぐぐた)などといった珍しい地名もあります。由来を尋ねて散策するのも楽しいでしょう。

記:平井 誠二(公益財団法人大倉精神文化研究所研究部長)

(2015年7月号)

シリーズわがまち港北の記事一覧へ