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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第217回 東京オリンピックで日吉ゴルフコース

2017.01.01

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 明けましておめでとうございます。新年ですので、初夢のようなお話を1つ。
 東京オリンピック開催の影響で、日吉に18 ホールのゴルフコースが造られるという話です。
 平成25年(2013年)9月、2度目の東京オリンピックを2020年に開催することが決まりました。港北区域では日産スタジアムがサッカーの予選会場に予定されていますが、昨年秋からは横浜アリーナが競技会場になるか否かが大きな話題になりました。
 最初の東京オリンピックは、昭和39年(1964年)に開催されましたが、実は、昭和15年(1940年)にも東京大会の開催計画があったことを第131回で紹介しました。その頃の話です。以前に、東急電鉄の社内報『清和(せいわ)』を調査していて見つけました。
 現在の駒沢オリンピック公園総合運動場は、昭和39年の東京オリンピックに合わせて整備されたもので、五輪後は体育館にメモリアルギャラリーも開設されて、今でもオリンピックの聖地となっています。
 実はこの場所、幻に終わった昭和15年の東京大会でも、メイン会場として整備される予定でした。『清和』昭和13年(1938年)7月号(以下、カッコ内は引用文)によると、その土地には、大正3年(1914年)から東京ゴルフ倶楽部(くらぶ)が駒沢ゴルフコースを造っていました。これは、「日本人の手によって造られ、日本人の経営の下に、日本人のゴルファーによって占められた」「日本に於(お)けるゴルフの草分け」といえるコースでした。
 昭和7年(1932年)、東京ゴルフ倶楽部が埼玉県の朝霞(あさか)へ移転すると、駒沢ゴルフコースは東急(当時は目黒蒲田(かまた)電鉄)が経営を引き継ぎ、パブリックコースとして解放したことにより、ゴルフの大衆化が進みました。
 しかし、昭和15年の東京オリンピック開催が決まり、駒沢にメイン会場が作られることになりました。駒沢ゴルフコースは閉鎖せざるを得なくなり、その代替え地として、なんと日吉が選定されたのです!
 日吉の新コースは、面積18万坪(59万4,000㎡)の広大な土地に、18ホールを備える計画でした。『清和』によると、場所は「日吉の慶應大学と反対側の高地一帯であって、会社のイチゴ園の少々先の方であり、駅から数町といふ所である」と説明しています。つまり、日吉駅の西側になりますが、駅から日吉地区センターがある辺りまでは、既に分譲地として開発されていましたから、そのさらに西側ということになります。未確認なのですが、現在の慶應義塾大学のグラウンドからサンヴァリエ日吉(元日本住宅公団日吉団地)がある辺りを開発しようとしていたと思われます。
 東急電鉄は、株式会社日吉ゴルフ倶楽部を昭和13年7月27日に設立し、この日吉ゴルフコースを所属として、翌年7月頃に完成させる計画を立てます。
表向き、東急電鉄は「第二の駒沢として、従来よりも優秀なコースを造って駒沢を永遠に復活させ、さら更に引続いてゴルフ界に貢献しよう」との考えを示していますが、実は「兎角(とかく)停頓(ていとん)し勝ちであった日吉付近発展の口火を切り、これを基礎として、日吉住宅地開発を促進しようとする意図」を持っていました(第55回参照)。
 ところが、昭和12年(1937年)に始まっていた日中戦争の暗い影がすぐ近くまで迫っていました。事態は急転します。『清和』7月号が発行された直後の昭和13年7月16日、挙国一致で戦争に臨む政府の意向を受けたオリンピック委員会は、東京オリンピックの開催返上を発表しました。なんと、日吉ゴルフ倶楽部設立総会のわずか11日前のことです。さらに、戦費調達を目的として、昭和12年9月に施行されていた臨時資金調整法が13年8月に改正強化され、設備資金の供給も抑えられてしまいます。
 オリンピックの中止により、一転して駒沢ゴルフコースの存続が決まり、日吉ゴルフコースの造成は中止されました。『清和』昭和14年(1939年)3月号によると、すでに募集登録していた日吉ゴルフ倶楽部の会員700人には、駒沢ゴルフコースを使用させることとし、ほとんど九分(くぶ)通り売買契約が纏(まと)まっていた日吉の土地は、「資金調整法が解けた時、直(ただ)ちに建設工事に着手する予定」と記しています。
 しかしその一方で、慶應義塾大学は昭和13年9月20日に下田の土地19,800坪余の購入を決め、昭和15年に野球場を開設します(第196回参照)。これは、夢に終わったゴルフコースの跡地開発だったのでしょうか?この謎解きが筆者の夢です。

記:平井 誠二(公益財団法人大倉精神文化研究所研究部長)

(2017年1月号)

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