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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第223回 師岡地区 -地域の成り立ち、その13-

2017.07.01

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


師岡(もろおか)地区は、港北区の中央部東側に位置しています。北は熊野神社市民の森の権現山(ごんげんやま)や天神山(てんじんやま)の尾根を境として樽町(たるまち)と接し、西は北側から大曽根(おおそね)、大倉山(おおくらやま)、大豆戸(まめど)の各地区に接し、東から南にかけては鶴見区と接しています。地区の中央部には、北東から南西にかけて、環状2 号線道路が走っています。かつて橘樹郡(たちばなぐん)師岡村と呼ばれていた地域とほぼ同じです。

師岡村は、明治22年(1889年)の市町村制施行により、駒岡(こまおか)村、獅子ヶ谷(ししがや)村、北寺尾(きたてらお)村、馬場(ばば)村、上末吉(かみすえよし)村、下末吉(しもすえよし)村など(全て鶴見区域)と合併して旭村(あさひむら)大字(おおあざ)師岡となりました。昭和2年(1927年)に横浜市へ編入されたときに神奈川区師岡町(もろおかちょう)となり、昭和14年(1939年)の港北区成立と共に港北区師岡町となりましたが、今でも鶴見区方面との結びつきが強い地域です。

師岡の地名は、平安時代の承平(じょうへい)年間(931~938年)に成立した百科事典『和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』に「諸岡(もろおか)」と表記されており、諸々(もろもろ)の丘が並んでいる地形から名付けられたといわれています。この諸岡の表記は、奈良県明日香村(あすかむら)の石神(いしがみ)遺跡から発見された木簡(もっかん)に「諸岡五十戸(もろおかごじゅっこ)」の文字が記されていたことから、7世紀後半にはすでに使われていたと考えられます。

長い歴史を持つ師岡地区には、数多くの伝説があります。たとえば、地区の北西に鎮座(ちんざ)する師岡熊野神社は、権現山(熊野山)に生えていた梛(なぎ)の木の洞(うろ)に住んでいた全寿(ぜんじゅ)という老人が、神亀元年(じんきがんねん・724年)に熊野の地から熊野権現(ごんげん)を連れてきて、お祀りしたのが始まりとの社伝があります。その時に、いの池の片目鯉(かためごい)の伝説も生まれました(第121回参照)。

平成6年(1994年)に市の無形民俗文化財に指定された筒粥神事(つつがゆしんじ)は、のの池の神水や神木(しんぼく)梛(なぎ)の葉、鶴見川の葭(よし)などを使って毎年1月14日に実施されますが、今年で1,068回を数えました。筒粥では、大麦・小麦から粟(あわ)・稗(ひえ)・大豆(だいず)など23種類の農作物の作況を占いますが、これはかつて師岡地区が農村地帯だった頃の代表的な農作物と思われます。明治の末頃にはイチゴの栽培も盛んでした。

師岡村の人口は、明治5年(1872年)に55戸351人で、昭和25年(1950年)になっても131戸639人でした。農村地帯だった師岡地区が変貌を始めるのは、昭和30年代の高度経済成長期になってからです。京浜工業地帯の後背地に位置する港北区域には、この頃から多くの工場が進出してきました。師岡地区にも、後述するトヨペットや明治製菓株式会社綱島研究所(現Meiji Seika ファルマ株式会社横浜研究所)など数社が進出しましたが、おもには隣接する樽町や神奈川区に進出した企業のベッドタウンとして人口が増加しました。今年5月31日現在で4,773世帯10,469人となっています。

師岡地区の東端は、字(あざ)沼上耕地(ぬまうえこうち)という水田地帯でした。ここへ、昭和36年(1961年)にトヨタ自動車のグループ企業であるトヨペット整備の綱島工場、東京トヨペットなどが進出しました。昭和39年には、その両社の間に環状2号線道路が通りました。現在、トレッサ横浜が道路を挟んで北棟と南棟から成り立っているのは、この2社などの跡地を利用しているからです。

トレッサ横浜は、株式会社トヨタオートモールクリエイトが管理運営するオートモール(自動車販売施設)併設型のショッピングシティです。建設中は、トヨタ横浜港北複合商業施設と仮称していました。オートモールと商業施設が一体化した北棟は平成19年(2007年)12月に開業し、巨大ポストが人目を引くトレッサ横浜郵便局や師岡コミュニティハウスなどがある南棟は翌年3月に開業しました。

トレッサ横浜の南西には横溝(よこみぞ)屋敷(鶴見区)があります。横溝氏の屋敷となる前には、慶長(けいちょう)年間(1596~1615年)に旗本小田切(おだぎり)氏の屋敷があったことから、その裏山を殿山(とのやま)といい、獅子ヶ谷城がありました。殿山は別名を兜山(かぶとやま)とも言います。殿様の兜とか戦(いくさ)にちなんだ地名かと思って、樽町の吉川英男(よしかわひでお)さんに伺うと、昔はここでカブトムシが沢山採れたので子供たちが「かぶとやま」と呼んだのだそうです。楽しいネーミングですね。

『地域わかりマス 2013』によると、師岡地区は「住んでいる場所に愛着を感じている」という住民が、区内13地区で一番多いという調査結果が出ています。また「近所で相談できる人がいる」の割合も区内で最も多く、住みよい街づくりが成功しているようです。

記:平井 誠二(公益財団法人大倉精神文化研究所所長)

(2017年7月号)

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