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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第62回 綱島温泉の記録 -その1-

2004.02.01

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北』(『わがまち港北』出版グループ、2009年7月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


1月6日の神奈川新聞に、かつて綱島の名物だった桃(第15・30回参照)の再興をめざして活動している市民グループの記事が大きく掲載されました。うれしいことですが、綱島にはもう1つの名物として温泉がありました。こちらは、残念なことにしだいに忘れられつつあるようです。

今年は、綱島温泉が発見されて90年、東横線の綱島温泉駅が綱島駅に改称されて60年の節目にあたります。そこで、以前から気になっていた綱島温泉について調べてみました。綱島温泉については、23種の文献を集めることが出来ましたが、いずれも断片的な記述で、全貌(ぜんぼう)を知ることの出来るまとまった資料は見つかりませんでした。

以下に、各種文献から集めた情報を整理してみましょう。

赤水(あかみず)

  • ラジウム温泉は、昔より土地の人々から「赤水」と呼ばれ田の灌漑用(かんがいよう)として使われていた。しかし、灌漑用としてはあまり水質が良くなく、日照りで困った時以外は使わなかった。
  • 綱島周辺では、赤水が自噴(じふん)しているところもある。
  • 普通は浅井戸(あさいど)を掘ると飲用に出来る水が出るが、地下70メートル位の深さを掘ると赤水が出るという。
  • この水は、大昔の海進(かいしん)、海退(かいたい)によって地層中に閉じこめられた水を起源としている。

東横線開通前

  • 大正3年(1914)、鶴見川の堤防築堤(ちくてい)に際して、家を移転しなければならなくなり、加藤ジュンゾウ(順造、順三、純蔵の諸説あり。屋号(やごう)を「杵屋(きねや)」という)という人が新しく井戸を掘ったところ、飲用(いんよう)に出来ない茶色の水が涌(わ)いた。風呂水に使っていたところ持病のリューマチが治った。内務省(ないむしょう)に勤めていた親戚のつてにより、内務省東京衛生試験所(内務省温泉研究所は誤り)に水の成分分析を依頼した。検査した博士(石原、田原、長田の諸説あり)の結果によると、ラジウム沃土(ようど)エマネチオンの含有量(がんゆうりょう)が国内で3番目(10.47マッヘ)に多い水であった。
  • 源泉(げんせん)は、水温16度~20度の冷鉱泉、色は茶褐色(ちゃかっしょく)のナトリウム-炭酸水素塩泉。神経痛、疲労回復、切り傷、火傷(やけど)、慢性皮膚病などに効(き)く。
  • 樽村(たるむら)の小島孝次郎は、井戸から涌いた水を使って湯治場(とうじば)を作ったり、鶴見川を利用して、3日に1度舟にこの水を積んで鶴見方面の銭湯に運んでいた。1荷10銭。リヤカーで運んだともいわれる。
  • 大正6年(1917)、樽にエイメイ館(永明、永命の2説あり)という銭湯ができたのが最初である。1回5銭で入れた。引き続き、樽に琵琶圃旅館(びわはたりょかん)、大綱館(おおつなかん)が出来た。
  • 大正中期、ほうぼうで井戸を掘るようになり、温泉旅館も建ち並ぶようになった。

  • 【付記】 第45回で紹介した大倉山を舞台とした久保栄(くぼさかえ)の戯曲「日本の気象」が、なんと51年ぶりに再演されます。上演期間は2月3日~14日です。詳しくは、電話 03-3920-5232(東京演劇アンサンブル) へお問い合わせ下さい。

記:平井 誠二(大倉精神文化研究所専任研究員)

(2004年2月号)

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