閉じる

大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第93回 ミニコミの元祖『大綱時報』

2006.09.01

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北』(『わがまち港北』出版グループ、2009年7月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


特定の限られた範囲を対象とした情報伝達の方法を「ミニコミ」といいます。和製英語です。媒体(ばいたい)としては、「ミニコミ誌(紙)」とか「タウン誌(紙)」と呼ばれるものがそれです。都筑図書館(つづきとしょかん)のホームページでは、都筑区域を対象とした49種類を紹介しています。港北区域にも多くのミニコミ誌がありますので、いくつか紹介しましょう。

かつて、日吉本町(ひよしほんちょう)に横浜港北新報社がありました。昭和26年(1951年)から平成10年(1998年)までミニコミ新聞を発行していましたが、その他に、『われらの港北 十五年の歩ミと現勢』(1954年)、『われらの港北 三十年の歩み』(1967年)なども刊行しています。この他に、『東急沿線新聞』(1954年~2001年)、『とうよこ沿線』(1980~2000年)、『港北ふりいすぺいす』(1987~91年)、『日吉台地下壕保存の会会報』(1989年~)、『タウンニュース港北区版』(1997年~)、『TRネット通信』(2001年~)などもあります。菊名北町内会が平成5年(1993年)から発行している『菊名新聞』は、次号が50号です。最近では『菊名こどもニュース』(2005年~)の刊行も始まりました。

こうしたミニコミ誌は、地域の情報を得る上で貴重ですが、配布先が限定されているので、心して大切に保存しておかないと後世に残せません。以前に、小机や鳥山のことを調べていた時に、港北図書館で佐藤靖夫(さとうやすお)著『小机の歴史』を読みました。これは、『小机タイムス』へ12回に亘(わた)って連載された記事を、昭和31年に本にまとめたものでした。『小机タイムス』は、昭和26、27年頃から発刊されていた月刊のミニコミ新聞のようです。この新聞を見たいと思ったのですが、図書館には所蔵されていませんでした。様々な方にも尋ねましたが、『小机タイムス』のことは全く分かりません。どなたか御存じの方がおられましたら教えてください(電話542-0050)。

さて、区内では、非常に古いミニコミ紙が発行されていました。『大綱時報(おおつなじほう)』です。大正10年(1921年)10月に月刊紙として創刊されたもので、最初はガリ版刷り(謄写印刷、とうしゃいんさつ)でしたが、第9号から活字印刷となりました。第9号から第22号(大正12年7月)までが残されています。発行していたのは大綱時報社、社長は大綱村長の飯田助夫(いいだすけお)でした。紙面は、村内の主要な出来事、学校便り、役場便り、青年団の記事、評論、文芸欄など多彩で、当時の人々の生活がよく分かります。大綱村は、明治22年(1889年)に大豆戸(まめど)・篠原(しのはら)・菊名(きくな)・樽(たる)・大曽根(おおそね)・太尾(ふとお)・南綱島(みなみつなしま)・北綱島(きたつなしま)の8か村が合併して誕生し、昭和2年(1927年)に横浜市へ編入されるまで続いた村です。大正12年(1923年)5月1日発行の臨時記念号は、大綱尋常高等小学校が綱島街道沿いの地(港北公会堂の向かい辺り)に移転し、新築校舎が落成したのを記念して発行されました。村勢の概要も紹介されています。「新築学校前」に店を構え、「学校用品及荒物、小間物、売薬類」を扱っていた「岩田屋鈴木長兵衛(いわたやすずきちょうべえ)」商店の広告も掲載されています。

新築学校の完成により、大綱村誕生以来の懸案であった学校問題がようやく解決され、村中が喜びに包まれましたが、そのわずか4か月後には関東大震災により、新築校舎は大部分が倒壊するという悲劇に見舞われます。『大綱時報』も震災で廃刊になったのでしょうか?

この連載をしている『楽・遊・学』もミニコミ紙といえるでしょう。『楽・遊・学』を平成7年(1995年)4月の第1号から全号持っているのは、発行元の生涯学習支援センターと筆者だけでしょうか。私の宝物です。

記:平井 誠二(大倉精神文化研究所専任研究員)

(2006年9月号)

シリーズわがまち港北の記事一覧へ