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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第94回 やかん坂のタヌキ

2006.10.01

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北』(『わがまち港北』出版グループ、2009年7月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


夏休みに、子供たちと夜空を見上げて「夏の大三角形」を観察しました。その後、冥王星(めいおうせい)が惑星で無くなるとの話もあり、空を見上げることが多くなりました。秋になり、月もきれいです。「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」といえば、旧暦8月15日のことで、いつもなら9月中旬になりますが、今年は7月の後に閏月(うるうづき、暦と季節の間のズレを調整するために1ヵ月増やすこと)があり、ちょっと遅れて10月6日になります。

証(しょう) 証(しょう) 証城寺(しょうじょうじ)  証城寺の庭は  ツ ツ 月夜だ  みんな出て 来い来い来い...
(証城寺の狸囃子、野口雨情作詩・中山晋平作曲)

中秋の名月、月見から、タヌキの話を思い出しました。

菊名の蓮勝寺前(れんしょうじまえ)のバス停付近から、蓮勝寺(第48回参照)の東側を山の上に登り川崎方面へ抜ける坂道があります。この坂を通称で「川崎坂(かわさきざか)」といいます。川崎坂は、別名を「薬缶坂(やかんざか)」といい、その由来について面白い話があります。『港北百話』から紹介しましょう。

坂の付近に年老いた古狸(ふるだぬき)が一匹棲(す)みついていたが、この狸、人を驚かせるのを趣味にしていたらしく、道を通る人々に悪戯(いたずら)をしたり、時には薬缶(やかん)に姿を変えて川崎坂をころげ落ち、人々を驚かせたと言う。そこで、この坂を村人は一名薬缶坂などと言っていた。昔は昼なお暗い坂道であって気味が悪かったという。

ゆかいな話ですが、タヌキはなぜ薬缶に化けたのでしょうか。薬缶坂という地名は、菊名以外にも、東京の文京区、杉並区、新宿区などにあります。それらの由来を調べてみると、「やかん」は、元は「野干(やかん)」と書いたようです。野干とは、キツネの異名(いみょう)です。薬缶坂とは、キツネに化かされそうな程、昼なお薄暗い寂(さび)しい坂道ということです。発音が同じことから、「薬缶」と書くようになり、薬缶に化けるという話になったのでしょう。そうすると、菊名の薬缶坂も、元はタヌキではなくキツネだったのでしょうか。あるいは、本当はタヌキが薬缶に化けたのではなく、いたずらの罪をタヌキに被せようとして、キツネがタヌキに化けていたのでしょうか。

『菊名あのころ』(菊名北町内会、平成8年)に、川崎坂で古ダヌキの子孫を見た話が載っています。タヌキは雑食性で適応力があり、現在でも区内の各所に棲息(せいそく)しています。昔はさぞかしたくさん棲息していたことでしょう。しかし、タヌキに化かされた話は、区内ではこの話しか見つけられませんでした。昔はタヌキのことをムジナとも言いましたから、ムジナの話を探すと、新羽(にっぱ)に1つありました。『新田物語(にったものがたり)』第7号(新田惣社、昭和60年)によると、「北ノ谷(きたのやと)のある家に平間(ひらま、川崎市)から嫁が来た。夜になるとむじながトントン戸を叩く、余り毎夜来るので、こわがった嫁は平間に帰ったという」という話です。

人を化かすことではタヌキと双璧(そうへき)のキツネはどうでしょうか。その話は次回に。

記:平井 誠二(大倉精神文化研究所専任研究員)

(2006年10月号)

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