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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第10回 レモンロードとエルム通り─大倉山はじめて物語、その2─

2017.01.15

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 1939年に港北区が誕生しました。その時から、区役所庁舎はずっと菊名駅の周辺にありましたが、1978年にはじめて大倉山駅の近くへ移転してきました。その頃の大倉山駅前道路は、わずかに道幅6メートル余りで、歩道はまだありませんでした(『大倉山STYLE かわら版』2016年11月号「大倉山写真館Vol.11」、または『わがまち港北3』227頁参照)。しかも、第三京浜や港北産業道路と行き来する車で交通量が多く、危なくて、大人でもおちおち買い物も出来ませんでした。通園通学する子供たちは、裏通りを歩くように親からキツく言われたそうです。今では想像も付きませんね。
 大倉山駅東側の、ひかり通り商店街270メートルは、横浜市の既成市街地歩道幹線整備事業第1号となり、1984年に近代的な街並みのレモンロードへと変身しました。
 駅西側の、さかえ通り商店街212メートルは、国の商店街近代化事業による国内第1号の事業として、1988年におしゃれなエルム通りとなりました。
 当時の関係者の皆さんは、道路際の建物を後退させたり狭くするなどして歩道を確保して下さいました。その努力と苦労のおかげで、現在の街並みがあるのですね。
(S.H)

(2017年1月号)

追記
エルム通りでは、この景観を維持していくために、2012年に大倉山エルム通り街づくり協定を制定しました。商店街の努力は今も続いています。

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