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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第105回 港北八景 ―その2―

2025.08.15

文章の一部を参照・引用される場合は、『港北STYLEかわら版!』(令和7年8月号)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 前々回の続きです。『横浜港北新報』が19553月から募集した港北八景は、投票の途中経過が順次新聞紙上に発表されていきました。5月からは港北文化会(1951年結成、会長は武井武港北区長)が後援をすることになります。5月末の締め切り時点で1,228票の応募がありましたが、各方面からの激励と「慎重に」との忠告を受けたからとの理由で、締め切りが9月末まで延長されました。筆者は、応募が少なすぎたからだろうかと邪推しています。

 その結果、9月末の投票総数は5,899票となりました。内訳を見ると、第1位が川和八幡で、下の写真のごとく全15ヵ所が投票されました。この結果を踏まえて、審査委員による審査では散策路も加味して、下記の8ヵ所を正式決定として、1015日の紙面で発表されました。

①川和八幡〔都筑区〕        ②榎の下城跡〔緑区〕

③綱島公園と日吉(慶大)弥生式住居跡 ④大石神社と御野立所〔緑区〕

⑤谷本観音と市ヶ尾横穴群〔青葉区〕 ⑥菊名池と武相台

⑦小机城跡と泉谷寺         ⑧師岡熊野神社と大倉山公園

 『横浜港北新報』の当初の記事を見ると「八景決定後は記念碑を建立、また俳句を募集して錦上花をそえて歴史の一頁をかざりたい」(310日の記事)と書かれていますし、延長後の925日号では「同八景を題材にしたカメラコンクール大会を、さらに八景を題に俳句大会、また書道大会と三つの催しを行うべく、現在計画、準備を進めている・・なお既報の如く、決定した八景の地には記念碑を建立する」と書かれています。

 ここまで読まれた読者の中には、もう気付かれた方がおられると思います。新聞に印刷された投票用紙を使わせることで新聞の販売促進を図り、入選地に記念碑を建てるという手法には先例があります。『横浜貿易新報』が1930年に実施した「県下新住宅地十佳選投票」(第5355回参照)と、1935年の「県下四十五名勝・史蹟投票」(『わがまち港北 2』参照)です。港北区内で入選した菊名二丁目の妙蓮寺、綱島東二丁目の桃雲台、新吉田町の若雷神社には、大きな記念碑が建っています。

 では、今回はどうなったのでしょうか。八景の決定を伝える1015日の紙面には、記念行事の1つとして八景カメラコンクールの開始が報じられています。当初は115日締め切りでしたが作品が集まらなかったのか、翌195635日の紙面で改めて3月末日締め切りで募集がかけられました。425日の紙面で入賞4作品が発表されました。1等は該当者無しで、2等が日吉本町の加藤寿男(慶應グラウンド)と日吉本町の小林睦(小机泉谷寺)、3等が新吉田町の金子幸男(大倉山寸景)と綱島ピンボケクラブの遠藤松次郎(武相台の眺望)でした。

 書道コンクールも、10月15日の紙面から始まりました。一次予選の手本3種の中に「港北八景」が、二次予選の手本では「川和八景」が含まれていました。俳句大会と記念碑については、続報が見つからないので実現しなかったのでしょう。残念です。(SH)

105 Election Results.jpg

投票結果を伝える記事(『横浜港北新報』1955105日)、赤枠は現港北区内

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