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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第15回 まこも池の首切り伝説─むかし話、その3─

2017.06.15

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 大曽根台の中程にある大曽根公園。かわいいクジラ型の遊具があるので、皆さんには、くじら公園と言った方がなじみ深いでしょうか。昔そのあたりには、くじら公園より3倍も広い大きな池がありました。まこも池と呼ばれたこの池は、農業用のため池でしたが、池のまわりでマコモを沢山栽培していました。マコモはイネ科の多年草で、7月のお盆前に収穫して業者へ売られ、ゴザに編んで、お供え物を載せる敷物に使われました。
 さて、むか~し昔の戦国時代、まこも池のほとりに城田弥三郎という元武士の屋敷がありました。明応9年(1500年)、小田原北条氏の家臣で小机城代笠原能登守の弟が、城田家の屋敷を奪って出城を築きました。非道を怒った城田弥三郎は、笠原から屋敷を取り戻そうとしましたが失敗し、まこも池のほとりで家臣共々首をはねられました。その後、大曽根の笠原家には弥三郎の祟りが続き、人々は恐怖しました。一説には大綱橋の近くで首をはねたともいわれ、戦後まで城田弥三郎の首塚があったそうです。(S.H)

(2017年6月号)

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