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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第20回 マメドの語源は?─地名のナゾ、その2─

2017.11.15

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 「大豆戸」地名の続きです。前回は、マメという言葉が先にあり、それに「大豆」という漢字を充てたと書きました。
 では、そもそもマメドという地名の語源は何でしょうか。マメドは、マメとドに分けられます。マメは、マミとかママという言葉が変化したもので、崖や急斜面のことです。ドは所という意味で、マメの所、つまり、崖がある場所という意味になります。
 大豆戸町は、菊名6丁目・7丁目を挟んで東西2ヵ所に分かれています。東地区には鶴見区との区境となる丘があり、西地区には八杉神社から篠原城へつながる丘があります。どちらも急坂や崖地になっており、こうした地形からマメドの地名が生まれたと考えられます。
 しかし、江戸時代の『新編武蔵風土記稿』は、当時の調査では大豆戸の村名の由来は分からなかったと記しています。
 地形とは関係の無い由来として、師岡熊野神社に大豆を献上したとする説や、埼玉県比企郡鳩山町の大豆戸に住んでいた金子一族が移住してきて元の地名を付けたという説もありますが、真偽の程は分かりません。(S.H)

(2017年11月号)

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