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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第22回 師岡のもろ─地名のナゾ、その3─

2018.01.15

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 第18回で紹介したように、全国の『郵便番号簿』の本を見ると、難読地名の例として師岡町が掲げられています。
 師の字は小学校5年生で習う教育漢字ですが、通常の読みは(し)だけで、(もろ)とは読みません。しかし、900年ほど前の平安時代末期に作られた漢和辞典には、(もろ)とも読むと書かれていますから、昔の人は(もろ)と読めていたのですね。
 さて、地名の師岡が表記された現存最古の記録は、鶴岡八幡宮に残る1183年の源頼朝の寄進状だそうです。
 もっと古い文献を見ると、諸岡と書かれています。平安時代中期の百科事典『和名類聚抄』(『わがまち港北3』94頁参照)に出てきます。さらには、奈良県明日香村の石神遺跡から「諸岡五十戸」と書かれた木簡が見つかっています。これは7世紀後半のものと推定されており、横浜市域に関する最古の地名資料として知られています。
 諸の字は、今でも(もろもろ)と訓読みするので、これなら(もろおか)と読めますね。もろもろの丘、つまりたくさんの丘が連なっている地形から、(もろおか)の地名が生まれ、やがて師岡と表記するようになったのです。(S.H)

(2018年1月号)

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