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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第25回 船着き場に最古のお店?─大倉山はじめて物語、その7─

2018.04.15

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 問い合わせをいただきました"大倉山最古のお店"、これは難題です!
 大倉山1~7丁目で、過去にあった店と、現在営業中の店を見て行きましょう。すでに閉店した店も含めると、最古の店はなんと江戸時代にまで遡りそうです。
 大倉山は、ずっと昔は太尾村といいました。太尾村には、天保14年(1843)に飴菓子の出商人が4人、明治3年(1870)に質屋3軒がありましたが、残念なことに場所が分かりません。
 これまで、大倉山では以下の3ヵ所に人が集まり商店街が形成されて来ました。①鶴見川の河岸(かし、船着き場)付近、②綱島街道沿い、③大倉山駅付近です。
 古代以来、太尾村の物流は道路と鶴見川が担っていました。川舟が着岸する場所を河岸(かし)といいます。昔は川の流れが今と少し違っていて、新羽橋から400メートル程北側、太尾下町子供の遊び場付近で道路と川が交わり、河岸がありました。「太尾河岸跡」の小さな石碑が建っています。
 太尾河岸の周辺には、古くから酒屋、雑貨屋、ワラジ屋などの店がありました。そうした店を経営していた家は、店名や業種が屋号となっていたりしますが、商売が専業ではなく、農業との兼業だったようです。開店時期がどこまで遡るのかはよく分かりません。
 次回に続く。(S.H) 

(2018年4月号)

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