第32回 綱島は樽─不思議な綱島温泉─
- 2018.11.15
文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。
むかし、綱島に温泉がありました。
大正15年(1926)に東横線が開通しますが、その時、東急電鉄は綱島に直営の綱島温泉浴場を造り、駅名を綱島温泉駅(現綱島駅)としました。綱島温泉の名はこの時に初めて名付けられました。
しかし、温泉は綱島で発見されたのではなくて、大綱橋の南側たもと、現在の樽町二丁目で発見されました。大正3年(1914)のことでした。綱島街道脇には、昭和8年に設置された「ラヂウム霊泉湧出記念碑」(『わがまち港北』149頁の写真参照)があり、その歴史を伝えています。
2016年、樽町三丁目にオープンした日帰り温泉施設「湯けむりの庄」が「綱島源泉」を名乗っているのも、こうした歴史があるからです。
さて、大綱橋から大曽根商店街へ行く道と、綱島街道とに挟まれた辺りには、東横線が開通する前から温泉旅館が何軒も造られて、温泉街になっていました。
では、その頃この温泉は何と呼ばれていたのでしょう? 答えは分かりません。当時の樽町は、まだ横浜市に編入されておらず、橘樹郡大綱村大字樽と呼ばれていました。もっと古くは橘樹郡樽村でした。もしかすると、大正時代には、樽温泉とか樽村温泉として名を馳せていたかも知れませんね。(S.H)
(2018年11月号)