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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第36回 温泉記念碑は大豆戸町で製造

2019.03.15

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 仮設されていた樽町の「ラヂウム霊泉湧出記念碑」(第34回参照)が、2019年2月15日に元の場所から少し北側、大綱橋南側たもとの駐輪場脇に移設されました。
 昭和8年に石碑を建てた加藤順三氏の家は、かつてはもう少し鶴見川に近い場所にありました。土手を造るために家を移転して、そこで温泉を発見し石碑を建てたので、今回の設置場所は、順三氏の元の家に近づいたと思われます。
 嬉しい発見もありました。石碑の裏面左下部に「大豆戸町石林刻」と刻まれていました。石林(いしりん)とは、大倉山の漆原家(屋号クマサン)から分家して、昭和2年に大豆戸町で石材店を開業した漆原林蔵氏のことです。
 裏面右下には「綱島左官小島喜三郎」と刻まれていました。左官が石碑設置にどのように関わったのかは分かりませんが、昭和8年に石碑が設置された時は、周囲をキレイに飾り立てていたと思われます。当時の大綱橋は少し下流に架かっていました。昭和12年に現在の場所に架橋され、綱島街道も拡幅され、順三家の源泉井戸は道路の下になり、屋敷地が削られました。この時、石碑を移動した可能性があります。私たちが長年見慣れてきた石碑は、設置当初とは建て方が違っていたのかも知れません。ご教示下さった吉田律人・武田信治の両氏に感謝します。(S.H)

(2019年3月号)

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