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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第37回 樽にビワの畑が?─地名のナゾ、その5─

2019.04.15

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 樽町には、かつて温泉旅館琵琶圃(びわはた)がありました。現在は琵琶畑自治会や、東横線の枇杷圃架道橋などがあります。漢字が似てるけど違うので気になりますとの質問を受けました。
 圃(ほ、はたけ)とは、畑のことです。
 琵琶畑自治会の区域は樽町二丁目4~6辺りですが、古くは樽町一~二丁目のほぼ全体を「びわはたした」と呼んでいました。楽器の琵琶の形をした畑があったとも、果物のビワを栽培する畑があったともいわれていますが、どちらの説が正しいのかは分かりません。古くは琵琶圃下とか、枇杷圃下などと書いていたのでしょうが、圃の字は読みづらいので、常用漢字で同じ意味を持つ畑の字を書くようになったと思われます。
 余談ですが、果物のビワは、楽器の琵琶に形が似ていることから名前がつけられたので、その漢字も琵琶の字に木偏を付けて枇杷にしたそうです。もう一つ余談ですが、岸根町には琵琶橋という橋がありました。枇杷の木で作られていたという説と、琵琶法師の伝説があります。鶴見川周辺は水害の多い土地でしたので、昔は水害に強い果樹のビワ栽培が盛んだったのかも知れませんね。
 架道橋とは、道路をまたぐ橋のことです。枇杷圃架道橋は、大曽根商店街の中央近くにあります。東横線が開通した90年余り前のレトロな雰囲気を伝えています。(S.H)

(筆者H氏より)樽町の「ラヂウム霊泉湧出記念碑」の移転騒動をきっかけにして、港北ふるさとテレビ局さんが、映像作品「続・綱島温泉物語」を制作しています。8月の綱島地区センターお化け大会でお披露目とのこと、楽しみですね。

(2019年4月号)

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