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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第41回 きつね火 ─むかし話、その7─

2019.08.15

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 現在の鳥山川は、神奈川区に源を発し、鳥山町と岸根町の間を流れ、横浜アリーナの裏で鶴見川と合流しています。
 しかし、むかーし昔の鳥山川は、横浜アリーナの裏から太尾堤緑道の所を流れて、大倉山と大曽根の境近くで鶴見川と合流していました。その頃のお話です。
 その頃は水害が多くて、家は山の麓にしか建てられず、大倉山、大豆戸、新横浜などの平地は田畑や荒れ地が広がるばかりでした。横浜アリーナがある辺りは、背の高い草が生い茂る気味の悪いところで、夜は村人さえも遠回りして通ったといわれています。
 人が誰も住んでいませんから、夜になれば真っ暗になるはずが、時折、土手の上に青白い炎が見えることがありました。これを狐火と言います。狐火がたくさん並んで見えることもあり、それは狐の嫁入りと言いました。
 村人が食べ物などを手に持ったまま見とれていると、いつの間にか盗られて無くなっていたなんて話も残っています。
 堤防が改修され、民家が増えるとキツネはいなくなりました。犬が飼われるようになってから、キツネやタヌキが急に減ったと言う人もいます。(S.H)

(2019年8月号)

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