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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第45回 八杉神社の神橋

2020.01.15

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 お正月にちなんで、神社の話題を1つしましょう。
 皆さん、初詣に行かれましたか。神社は神様の居ます清浄な場所ですから、手水舎で身を清めてお参りをします。手水舎の水は社殿裏山から湧き出る清浄な水(今は水道水の所もあり)ですが、古くはすぐ近くを流れる川の水で潔斎をしていました。
 菊名駅の北西側の丘を通称で安山(やすやま)といいます。大豆戸町の八杉神社は、安山の北側斜面に鎮座していますが、かつては八王子神社と呼ばれていました。1947年に町内の杉山神社を合祀して、2つの神社の頭文字を合わせて八杉神社となりました。
 昔から、安山に沿って用水路と道路がありました。神社を参詣する人は、用水路に架けられた神橋(かみはし)という名の小さな石の太鼓橋を渡って神域に入りました。
 用水路は、菊名池から流れ出たもので、菊名周辺の丘からの湧き水を集めて鶴見川へ向かって流れていました。カワセミもやってくる清水は、農業が盛んだったころは貴重な潅漑用水でした。古くはお参り前の潔斎にも使われたのでしょうか?
 やがて都市化が進み、農地は減ります。下水道の整備が遅れ、用水路は家庭雑排水で汚れていき、ついに水利権が放棄されて昭和50年代に暗渠となりました。
 用水路を埋めた跡は歩道になりました。歩道をまたぐ神橋は通行の邪魔になったのですが、神社の橋なので、取り壊すのではなく山際に少しずらして移設しました。それ以来、神橋の下に川はありませんが、今でも古い姿を伝えています。
 この用水路の記憶を伝えるものがもう1つあります。2006年から毎年夏に開催されている、大豆戸菊名打ち水大作戦です。大勢の子ども達が一斉に打ち水をする山沿いの歩道は、暗渠になった用水路の跡です。(S.H)

付記
現存する神橋は、1958年に架け替えられたものです。写真(『わがまち港北3』273頁参照)は、今年(2020)の正月に撮影しましたので、欄干の親柱に松飾りが飾られています。

(2020年1月号)

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