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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第5回 怪奇!お化けが坂と血の池─むかし話、その2─

2016.08.15

文章の一部を参照・引用される場合は、『わがまち港北3』(『わがまち港北』出版グループ、2020年11月)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 むか~し昔、大曽根第二公園がまだ池だった頃のことです。池の脇を通る綱島街道もまだ細く曲がりくねっていて、池から今の大倉山記念病院がある辺りにかけては、うっそうとした木立に囲まれたけわしい坂道でした。
 池の近くには、いつからか悪い大ギツネが棲んでいました。キツネは、街道を通りかかる人を化かしては喜んでいました。坂道をどこまで上っても山から抜け出せなくて行き倒れになった人や、気が付いたら池の中にはまっていたという人もいます。そんなことから、この坂道は誰言うともなく"お化けが坂"と呼ばれていました。
 ある時、この話を聞いた侍が、池の端でキツネを見つけて一刀のもとに斬り殺してしまいました。キツネは池に落ちて、翌朝、池は血でまっ赤に染まっていました。それ以来、この池は"血の池"と呼ばれるようになりました。
 お化けが坂は、後に"伯母(おば)が坂"とか"産(うぶ)が坂""お坊坂"などと呼ばれるようになり、その名から別の伝説が生まれます。その話はいずれまた。(S.H)

(2016年8月号)

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