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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第53回 震災復興で県下新住宅地十佳撰投票―地域の外、その2―

2020.09.15

文章の一部を参照・引用される場合は、『大倉山STYLEかわら版!』(令和2年9月号)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 防災の日にちなんだ話題を1つ。大正12年9月1日の関東大震災は、首都圏の市街地に壊滅的な被害を及ぼしました。都会生活のリスクを身をもって知った人々は、当時続々と開通していた鉄道を利用して、安全な沿線郊外に新しい住居を求めました。
 東横線は震災前から計画されていましたが、最初から東京と横浜の間に田園都市と名付けた分譲住宅地をたくさん作り、その間を鉄道で結ぶという計画で準備を進めており、震災後に開通しました。そのために、港北区内の日吉、綱島、菊名、妙蓮寺などの駅周辺も当初から住宅地として開発されていました。唯一、大倉山だけは地形が宅地開発に適さなかったので、分譲されずに大倉精神文化研究所へ売却されました。その頃の話です。
 地元の新聞といえば神奈川新聞ですが、昭和17年以前は横浜貿易新報と呼ばれていました。
 宅地開発ブームに着目した横浜貿易新報は、昭和5年4月、新聞購読者に「県下新住宅地十佳選投票」を呼びかけました。横浜貿易新報を1部購読すると、紙面の端に2枚の投票用紙が印刷されており、切り取って投票ができました。4月15日から5月15日までの投票戦の結果、東横線白楽駅東側の白幡丘住宅地が第1位になりました。港北区内では、妙蓮寺前の住宅地が第5位に入選しました。綱島は残念ながら第12位でしたが、「選外特選」に選ばれました。全県下の12位までに東横線沿線が3ヵ所も入っており、人気の高さがよく分かります。
 入選地へは新聞記者が派遣され、取材の成果は「県下新住宅地紹介号」と名付けた全5回の特集記事になりました。綱島は、「桃と温泉の名所として横浜の楽園」「市内にして尚快適な田園味」と紹介されました。では、妙蓮寺前の住宅地はどのように紹介されたのでしょうか。記事は昭和5年6月16日の第3面に掲載されたと思われますが、残念ながらその紙面だけ現存しておらず、今では読むことが出来ません。(S.H)

第53回、県下新住宅地十佳選、投票用紙.jpg投票用紙

第53回、県下新住宅地十佳選(網掛け).jpg昭和5年5月17日紙面での結果発表

(2020年9月号)

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