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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第59回 菊名駅と商店街

2021.05.15

文章の一部を参照・引用される場合は、『大倉山STYLEかわら版!』(令和3年5月号)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 「菊名駅はなぜ東口だけに商店街があるのですか?」との問い合わせを受けました。これは、菊名駅の成り立ちが影響しています。
 菊名には、1908年に横浜線が通りましたが、その時駅は造られませんでした。1926年2月に、横浜線の下に東横線が開通し、東急の菊名駅が開業しますが、駅舎は無かったようです。国鉄(JR)の菊名駅ホームは同年9月に完成します。しかし土手の上なので、国鉄は東横線の東側に駅舎と改札口を造り、東急と共用にしました。国鉄(JR)は1994年までは駅の管理を東急に業務委託しており、改札口はこの東口のみでした。ですからかつては「駅前」と言えば東口側を指しており、現在でも交番や郵便局、バス停等は東口側にあります。
 菊名駅は、1978年まで港北区役所(現菊名地区センター)の最寄り駅でしたので多くの乗降客が集まりました。駅前を通る旧綱島街道と、それに交差する綱島街道が区役所の東西を北上しています。その道に沿って商店街が形成されていき、1951年に菊名商栄会となりました。現在は、菊名東口商栄会と改称し、約80店舗が加盟しています。
 実は西口側にも、菊名西口商店街があります。横浜線ホームからは見えますが、西口を出て左折し高架下をくぐった先にあるので、駅を出てもすぐには見えません。
 駅西側に住む人は、当初は東横線の踏切を渡り、後には跨線橋を渡り、東側の駅改札口や菊名商栄会のお店を利用するしかありませんでした。そうした駅西側に住む住民のために、西側に改札口が出来る前の昭和30年代から、横浜線の線路沿い南側の一角に「表谷西口商店街」が形成されました。それが菊名西口マーケット、菊名西口商店街と呼ばれるようになりました。そして、1977年に横浜市からモデル化商店街の指定を受けて再開発され、その時から近年までウエストモールとも呼ばれていました。(S.H)

大好き!大倉山59.jpg写真右は、菊名生花店とハウスコムの間から北西向きに菊名駅東口方面を写しています。写真左は昭和30年代の同じ場所です。右手前が菊名薬局、その看板の影にあめや金物店、相磯傘履物店と続き、その先が菊繁食堂でしょうか。左が駅側で、奥から内田精肉店、パンの栄喜堂、斉藤玩具店、清水菓子店。その左手前が交番と駅の改札。両開きの窓らしきものはシルバー洋品店でしょうか。すでに数多くの商店が並んでいました。

(2021年5月号)

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