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大倉精神文化研究所

横浜市港北区地域の研究

第66回 昭和6年の大倉山地域

2022.02.15

文章の一部を参照・引用される場合は、『大倉山STYLEかわら版!』(令和4年2月号)を確認の上、その書誌情報を典拠として示すようお願いいたします。


 篠原東の峯岸イヲ子さんから、昭和6年12月発行の『横浜市土地宝典 神奈川区旧大綱村之部』をご寄贈いただきました。有り難うございます。調べてみると新発見がありましたので、ご紹介しましょう。
 土地宝典とは、「公図」と「土地台帳」を合わせたようなもので、1筆ごとの土地が描かれた詳細な地図に、地番・地目・地籍・地価・所有者名などを書いた表が付いています。民間業者が出版していました。
 旧大綱村とは、明治22年に橘樹郡の大豆戸村、篠原村、菊名村、樽村、大曽根村、太尾村(大倉山)、南綱島村、北綱島村が合併して成立した村です。大綱村は昭和2年に横浜市へ編入され神奈川区となり、昭和14年に港北区になりました。
 本書の巻頭には「名勝旧跡」を紹介する欄があります。近隣では小机町の小机城址と駒止め松、鳥山町の馬頭観世音と弥勒松、綱島町の綱島温泉が紹介されています。綱島温泉は、「同町一帯にラジューム鉱泉湧出し温泉旅館十余ヶ所を算ふ。附近は桃園多く紅灯一傑の美と共に果実の産額多く当区唯一の特産物なり。尚附近に郷社熊野神社、大倉精神文化研究所等あり」と紹介されています。しかし、研究所の建物(現大倉山記念館)はまだ建設中で、オープンは翌昭和7年4月9日です。
 大倉山辺りの地図(下の写真参照)を見てみましょう。大倉山駅は、太尾停車場と書かれています。
 赤色のマーカー部分が、大倉邦彦が買い求めた精神文化研究所の敷地です。太尾町の観音前と五丁前、大曽根町の八幡耕地に広がり、総面積24反9畝7歩4厘、約7,500坪(2.5ha)です。研究所所蔵資料の記録とピッタリ一致します。後に買い足して1万坪となります。
 地目を見ると敷地の大半は山ですが、研究所の本館が造られる辺りは畑と書かれています。敷地の南側、丸く抜けている所が太尾村村社の神明社です。ここは買収交渉をしたのですが買い取れませんでした。現在の大倉山記念館(地図の黒四角)の裏から公園西奥のピクニック園地へ向かう道は、記念館に沿うように少し位置を付け替えていますが、神社ヘと続く古くからの参道だったことも分かります。
 法務局で調べたところ、神社の敷地を研究所が買い取ったのは昭和33年のことでした。これは、太尾神社の創建に関わるお話になりますので、詳しくは次回ご説明しましょう。
 1つ興味深いのが、大倉邦彦が大曽根台の北向き斜面に、東横線の大曽根架道橋方面へ向けて、北東へ細く続く土地を購入していることです。道路を作ろうとしていたように思われますが、現在この敷地はありません。(S.H)


昭和6年の大倉山(土地宝典).jpg右の縦が東横線で、下がバス通り、交わる右下が太尾停車場です。
3枚の地図を貼り合わせたので、上手く重ならないところがあります。

(2022年2月号)

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